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飯盛山城の所在地。
大阪市より東にある山城で北に伸びた尾根上に城を構えている。
その範囲は南北約600m、東西約400m広大である。 |
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飯盛山城へは北側の馬場跡と伝わる楠公寺へ行き、そこの駐車場を利用させて頂いた。
ここまでは道が狭いが、小型車であればなんとかたどり着く事ができる。 |
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途中に石垣があり見ごたえありそうだが、土の城が好きな自分には猫に小判状態。 |
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この日は真冬で西風が冷たかったのだが、多くのハイカーが城跡を往来していた。 |
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城内には城主三好長慶ではなく楠木正行像が置かれている。
南北朝の武士像に城を乗っ取られて長慶さんも無念か? |
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主郭南の堀切。 |
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城内の近代遺構。戦前の設備で、ここで国旗を掲揚したらしい。 |
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主郭付近にある石碑と解説板。 |
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飯盛山城の最大の特徴はこの眺望にあるだろう。北は京の都から南は淡路島まで、この城は見渡せるのである。
城主三好長慶も在城6年間に建物の少なかったこれらの風景を眺めていたのかも知れない。 |
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飯盛山城にはいくつかの尾根が多方向に伸びており、それぞれが独自の遺構を持つ。
写真は西北方向に伸びる尾根筋にある堀切。 |
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北の尾根は深い堀切がしっかり遮断している。 |
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北側の曲輪も眺望に優れている。しかし、訪問時は強風が吹き荒れており、じっとしているとものすごく寒かった。
下は同地にある看板。 |
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ハイキング道以外は藪で特に北東に伸びる尾根の一つは視野がまったく効かない程のド藪になっている。
写真は北東尾根の堀切。 |
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斜面はいくつか石積みがされた部分があり、飯盛山城の特徴の一つとなっている。 |
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南尾根に向かうと車道が現れる。この辺りは遺構が破壊されたようだ。 |
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眺望の効く場所は電波塔が立つ宿命と背中合わせである。そんな事で先ほどの車道の先にあったのは某公共放送の送信設備であった。 |
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電波塔のフェンスには飯盛山城の解説が内側に建てられている。現地は千畳敷と呼ばれるだけありかなり広い削平地となっている。 |
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南西側の尾根は高台になっており、そこには畝状竪堀+堀切が。
西国ではお馴染みの畝状竪堀だが、東国の自分としては大変新鮮な遺構である。 |
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夕方になったらなんと雪がちらつき始めた。
これはいかんと直ぐに楠公寺に停めてある車に戻り急遽退出。
遠征してきたのに次の日の一日が雪道の移動で費やされる事となってしまったのであった。 |
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飯盛山城のお絵描き。天下の三好さんが居城に選んだだけあって、規模が大きいし眺望も効く。
城の本体には石垣が使用されており、尾根には堀切などが多く用いられている。 |