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杉戸町(すぎとまち)
 埼玉県東部に位置する町。中世期までは町内を流れる利根川を境に下総国であった。町名は日本武尊が東征の折、江中に横たわる薩天ヶ島(幸手?)の南岬より上陸した時、老杉がうっそうとしていた場所であった事から「杉門(すぎと)」と名づけたのが始まりと言われる。

 中世においては下河辺荘の一部で、上杉戸といわれる地域は北上してきた鎌倉街道中道が旧利根川沿いに走っている。鎌倉期に下河辺氏、金沢氏と支配が変わり、室町期になると幸手一色氏の影響が強くなる。高野城は古河公方足利氏と関東管領上杉氏の争いの場として何度も戦場となっている。
当ページ収録城館跡一覧 早見表
相島氏屋敷 新井氏屋敷 大塚陣屋 豊後屋敷
桑原氏館 才羽陣屋 関口氏屋敷 高野城
細谷氏屋敷
←各項目にあるこちらのアイコンはゼンリン社の現地地図にリンクしております。参考のまでにご覧下さい。


城名 相島氏屋敷 読み あいじましやしき
所在地 埼玉県北葛飾郡杉戸町
茨島字前
所在地地図
別名   コード 11_09_005_00100
築城年 慶長年間
(1596〜1614)
主な城主 相島将監秀成
廃城年 不明 形態 屋敷
   
備考  相島氏は『高野村誌稿』によると藤原秀郷から出た下野小山氏から出た家系だという。相島家諸伝の系図を辿ると朝政、秀綱、隆政と続き、子孫四世秀氏の子将監秀成が茨島にやってきて土着して慶長年間、将監新田を開発したという。その子孫は今も住み続けているという。

 現地は元々農地であったが、近年になり宅地及び駐車場となり風情が変わりつつある。

城名 新井氏屋敷 読み あらいしやしき
所在地 埼玉県北葛飾郡杉戸町
下高野字志部
所在地地図
別名 御蔵屋敷 コード 11_09_005_00200
築城年 不詳 主な城主 新井源貞
廃城年 不詳 形態 屋敷
   
備考  新井氏は幸手一色氏の一族で、頼氏の五男貞家が上州荒井(群馬県太田市?)に住んだ事により荒井五郎を名乗ったという。後に相模国に侵入してきた伊勢新九郎長氏(北条早雲)に仕え、子である貞時は伊勢守と称し、姓を「新井」に改めたという。
 しかし貞時の子源貞は北条氏より離れ、各地を流浪した上剃髪して「道円」と号したが、本家である一色直勝より迎えられ、その家臣となった。還俗して直勝・直朝に仕えたが、直朝没後は再び出家し、当地に隠棲した。
 源貞の子源宗は父同様に各地を流浪し、後に一色直朝の近侍に召抱えられた。直朝に従い関ヶ原の合戦にて首級を挙げるなどの功績を残した。一色照直(直朝の孫)に仕えて大阪夏の陣(1615)に参戦し、深手を負って没した。
 源宗の子源信は一色氏に仕えず下高野にそのまま土着し、子孫は代々下高野村の名主となったという。
 この新井氏の系図によると幸手一色氏の直朝が高野に隠居した事や直朝の弟直春が高野に住んでいた話等、幸手一色氏が高野と深い関わりがあった事を示す記録が残る。
 当地周辺は一色氏にゆかりのある場所が多く、後宿の荏柄天神社は幸手一色氏の別宅跡、専求(せんぐ)院は一色氏の念仏堂、全長寺の開基は一色善十郎直春、宗泉寺は一色氏の菩提寺であるという。

 当地は鎌倉街道中道が走り、静かなたたずまいを見せる。明確な遺構は無いが、立派な垣根を持つ旧家があり、その風情を伝えている。

城名 大塚陣屋 読み おおつかじんや
所在地 埼玉県北葛飾郡杉戸町
大塚字陣屋
所在地地図
別名   コード 11_09_005_00300
築城年 不詳 主な城主 不詳
廃城年 不詳 形態 陣屋
   
備考  北に1km程の所にある才羽の陣屋と対峙していたという。それ以外の事はよく分かっていないが、現地が室町期に古河公方方と関東管領上杉氏方との軍事境界線付近であった事を考慮すると、それに伴う砦であった可能性がある(南側だと上杉氏方であろうか?)
 余談であるが昔からこの両陣屋の間は落雷が多く、村人たちは昔戦場だったので刀や槍などが埋まっているからではないかと噂をしていたという。

 周囲に比べてやや高いところにあり、現在も集落があつまる。しかし、明確な遺構は残されていない。

城名 豊後屋敷 読み ぶんごやしき
所在地 埼玉県北葛飾郡杉戸町
清地小字裏豊後
所在地地図
別名   コード 11_09_005_00400
築城年 戦国末期? 主な城主 木村豊後八郎兵衛
廃城年 不詳 形態 屋敷
   
備考  清地地区の豊後と言われる地に昔から二人の殿様が居たという。一人は地名にもなった木村豊後八郎兵衛で、もう一人は細谷氏である。
 伝承によれば木村氏は豊臣秀頼の臣木村長門守重成の後裔であり、最初常陸国に下り、その後当地にやってきて新田開発を行ったので木村豊後八郎兵衛の名をとって地名としたという。しかし、この重成が生きている慶長年中(1596〜1614)に木村豊後八郎兵衛が没したというので、一族であったというのが適正であると思われる。(仮に子だとしても重成の慶長年中の年齢は十代から二十代前半で、子が一族郎党を率いて新田開発ができる年齢とは思えない)

 豊後のバス停南に、周囲に比べて比較的高い地形(自然堤防)を未だに残している。しかし、屋敷は百年ほど前に無くなったそうで、今は畑となっている。

城名 桑原氏館 読み くわばらしやかた
所在地 埼玉県北葛飾郡杉戸町
本郷
所在地地図
別名   コード 11_09_005_00500
築城年 平安末期 主な城主 桑原平内盛時
廃城年 不詳 形態
   
備考  桑原氏は武蔵七党の一つ村山党から出た金子氏の出で、金子六郎家範の孫金子六郎左衛門近綱が桑原六郎を名乗ったのが始まりといい、その子に桑原平内盛時がいる。桑原平内は弓馬の術に秀ていたらしく、「相州兵乱記」「加嶋合戦之事」にその名が見られるという。
 なお現在の本郷の地名は元は「桑原本郷」といい、現在の本郷から堤根にかけてを桑原郷と言った。
 
 桑原氏の住んだ具体的な所在地などについては今は分かってない。現地は国道4号線を境に東側には工場団地が出来たが、西側には少しだけ昔からの日光街道の名残を残しているに留まっている。

城名 才羽陣屋 読み さいばじんや
所在地 埼玉県北葛飾郡杉戸町
才羽字陣屋
所在地地図
別名   コード 11_09_005_00600
築城年 不詳 主な城主 耀又兵衛
廃城年 不詳 形態 陣屋
   
備考  耀(あかる)又兵衛という人物が住み、南の同町大塚陣屋と対峙していたという。後に昭和二十六年に田宮村立田宮中学校が開校する際に、「おかしらの家」という屋号を持つ家も引き払われたという。

 田宮中学校が東中学校に統合された後牧場となったが、現在その牧場も放置され、荒地になっている。僅かながらに細長い沼地があるが、これが以前の陣屋遺構であったのだろうか?

城名 関口氏屋敷 読み せきぐちしやしき
所在地 埼玉県北葛飾郡杉戸町
深輪
所在地地図
別名   コード 11_09_005_00700
築城年 戦国末期 主な城主 関口長兵衛
廃城年 不詳 形態 屋敷
   
備考  関口氏の祖は今川源五郎氏貞(遠江今川家)の次男関口刑部少輔氏広であったが、永禄三年(1560)に駿河今川宗家が桶狭間の合戦にて敗れて没落した事により関東に移り住んだという。なお、この地に土着した時期については曖昧であるが、当地の関口氏が深輪周辺を開発した一族の総本家である。

 旧家の周辺を今も堀と土塁が囲み、北側の土塁が町道造成のため崩されている以外は保存状態の良い。東側は水田より工場地帯になりつつあり、その風景も変わりつつある。

城名 高野城 読み たかのじょう
所在地 埼玉県北葛飾郡杉戸町
下高野字浅間前
所在地地図
別名   コード 11_09_005_00800
築城年 正平十七年?
(1362)
主な城主 藤原長福?
一色氏
廃城年 不詳 形態 平城
   
備考  この城は伝承によると因幡前司藤原長福が太田荘白岡より侵入し、地元の領主井戸兵庫介高弘を討ち築城したものという。しかし長福は非道に走ったために落馬し、高熱を発して果てた。その跡を子の左衛門尉長泰が継ぎ高野城に住んだが、幸手一色氏がこれを攻略したのだという。
 古河公方足利氏の家臣であった幸手一色氏は、対上杉方の防衛拠点として幸手城と共に高野城を守る。文明三年(1371)に上杉方の重臣長尾景信(同景春の父)と太田資忠(同道灌資長の弟)によって幸手城と共に落城するが、幸手一色氏は再度両城を取り戻している。
 下って天正二年(1574)当時に幸手一色氏は小田原北条氏に従っていた為、上杉謙信によって幸手城と共に焼き払われたりと常に幸手城と同じ歴史を辿っている。

 明確な遺構はのこされていない為、高野城推定地は特に定まっていない。しかし鎌倉街道中道に面した自然堤防上に一色氏ゆかりの寺社が多くある事から、この周辺にあったといえるだろう。

城名 細谷氏屋敷 読み ほそやしやしき
所在地 埼玉県北葛飾郡杉戸町
清地
所在地地図
別名   コード 11_09_005_00900
築城年 不詳 主な城主 細谷氏
廃城年 不詳 形態 屋敷
   
備考  細谷氏は南北朝期における上州新田氏の一族であるといい、いつの頃か上州細谷村(群馬県太田市細谷町)よりこの地に移り住んだのだという。格式の高さを表す「院殿」の戒名がついた碑文があるのだという。

 今も白壁の塀を囲っており、道路を隔てて西に塚があって、その上に当家の墓地がある。

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<<主要参考文献>>
杉戸町史 通史編 杉戸町 (2005)
杉戸町史 考古資料編 杉戸町 (2003)
杉戸町の地名・地誌
-その由来と所在地を尋ねて-
鈴木 薫 著 (1994)
幸手一色氏
-系図から伝承まで-
幸手市 (2000)
埼玉の中世城館跡 埼玉県教育委員会 (1989)
埼玉の館城跡 埼玉県教育委員会 (1969)
日本城郭大系5 新人物往来社 (1980)
日本城郭大集4 人物往来社 (1967)