城名 |
新井氏屋敷 |
読み |
あらいしやしき |
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所在地 |
埼玉県北葛飾郡杉戸町
下高野字志部 |
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別名 |
御蔵屋敷 |
コード |
11_09_005_00200 |
築城年 |
不詳 |
主な城主 |
新井源貞 |
廃城年 |
不詳 |
形態 |
屋敷 |
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備考 |
新井氏は幸手一色氏の一族で、頼氏の五男貞家が上州荒井(群馬県太田市?)に住んだ事により荒井五郎を名乗ったという。後に相模国に侵入してきた伊勢新九郎長氏(北条早雲)に仕え、子である貞時は伊勢守と称し、姓を「新井」に改めたという。
しかし貞時の子源貞は北条氏より離れ、各地を流浪した上剃髪して「道円」と号したが、本家である一色直勝より迎えられ、その家臣となった。還俗して直勝・直朝に仕えたが、直朝没後は再び出家し、当地に隠棲した。
源貞の子源宗は父同様に各地を流浪し、後に一色直朝の近侍に召抱えられた。直朝に従い関ヶ原の合戦にて首級を挙げるなどの功績を残した。一色照直(直朝の孫)に仕えて大阪夏の陣(1615)に参戦し、深手を負って没した。
源宗の子源信は一色氏に仕えず下高野にそのまま土着し、子孫は代々下高野村の名主となったという。
この新井氏の系図によると幸手一色氏の直朝が高野に隠居した事や直朝の弟直春が高野に住んでいた話等、幸手一色氏が高野と深い関わりがあった事を示す記録が残る。
当地周辺は一色氏にゆかりのある場所が多く、後宿の荏柄天神社は幸手一色氏の別宅跡、専求(せんぐ)院は一色氏の念仏堂、全長寺の開基は一色善十郎直春、宗泉寺は一色氏の菩提寺であるという。
当地は鎌倉街道中道が走り、静かなたたずまいを見せる。明確な遺構は無いが、立派な垣根を持つ旧家があり、その風情を伝えている。 |
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