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宮代町(みやしろまち)
 埼玉県東部の町、近年は東京近郊の町になり遊園施設が出来つつも町全体が静かなたたずまいを見せている。

 中世には町の北側を利根川が流れ、それが境となり川より向こう側が下総国になっていた。町内の須賀郷は源頼朝の叔父志田義広が叛旗を翻し有名になった地でもある。また、久米原郷も鎌倉街道「高野の渡し」で有名であった。
 中世における主な領主はわかっていないが、地頭として鈴木氏の名が挙がっており、江戸期になると旗本服部氏が百間郷に知行を受け当地を支配していく事になる。
 
当ページ収録城館跡一覧 早見表

※ 城館名をクリックすると当ページの該当城館項目へ飛びます。
服部氏屋敷 鈴木氏館 地蔵院 松永氏屋敷
島村氏屋敷 宿屋敷
←各項目にあるこちらのアイコンはゼンリン社の現地地図にリンクしております。参考のまでにご覧下さい。


城名 服部氏屋敷 読み はっとりしやしき
 
所在地 埼玉県南埼玉群宮代町
西原
所在地地図
別名   コード 11_08_008_00100
築城年 天正十八年
(1590)頃?
主な城主 服部氏
廃城年 不詳 形態 屋敷
   
備考 徳川家康が関東に入国した時に旗本である服部氏が百間郷三千石を知行し、現地に屋敷を構えたと言う。
明確な遺構は残されていないが、伝承は残されていた。

城名 鈴木氏館 読み すずきしやかた  
所在地 埼玉県南埼玉群宮代町
大字東
所在地地図
別名 中寺遺跡 コード 11_08_008_00200
築城年 室町期? 主な城主 鈴木左馬助重次
鈴木雅楽助重久
鈴木雅楽助業俊
鈴木日向守重門
廃城年 不詳 形態
   
備考 中世頃土豪であった鈴木雅楽助(うたのすけ)にゆかりのある館跡だという。
鈴木氏は元々管領上杉氏に仕えていたが、雅楽助業俊の時に北条氏政に属したという。また業俊の子日向守重門は太田氏房に属していたといい、江戸期を通してこの地に土着したという。
遺構は住宅化により見られないが、西光院西側の微高地上にある。

城名 地蔵院 読み じぞういん
所在地 埼玉県南埼玉群宮代町西原 所在地地図
別名   コード 11_08_008_00300
築城年 不詳 主な城主 不詳
廃城年 不詳 形態 館?
   
備考 百間小学校西付近にあった中世遺構。
百間小学校から郷土資料館付近にかけての雑木林に、中世頃と思われる堀が発掘されたという。

城名 松永氏屋敷 読み まつながしやしき
所在地 埼玉県南埼玉群宮代町山崎源太山 所在地地図
別名 源太山 コード 11_08_008_00400
築城年 江戸期? 主な城主 松永源太左衛門
廃城年 不詳 形態 屋敷
   
備考 中世頃から土豪としてこの地に住んでいたとも伝わる。
江戸元禄頃の源太左衛門の頃も富農であったといい、松永坊を開基したり西光院の鐘銘に名前があったという。
微高地になっているが、遺構がどの様な物であったのかは確実にわかっていない。

城名 島村氏屋敷 読み しまむらしやしき
 
所在地 埼玉県南埼玉群宮代町道仏 所在地地図
別名   コード 11_08_008_00500
築城年 戦国期 主な城主 島村出羽宗明
廃城年 不詳 形態 屋敷?
   
備考 島村氏は元は近江国に住し、嶋村弾正左衛高智は細川高国に仕え、享禄四年(1531)に摂州尼崎にて死したという。その子近江入場道明は東国に落ちこの地に土着したという。
出羽宗明は道明の子で医王院を創立して、この地の開発に尽力した。
館跡の位置は明確ではないが、医王院付近にあるものと思われる。

城名 宿屋敷 読み しゅくやしき
 
所在地 埼玉県南埼玉群宮代町東粂原 所在地地図
別名   コード 11_08_008_00600
築城年 室町期 主な城主 不詳
廃城年 不詳 形態 集落
   
備考 鎌倉街道沿いにあったという集落跡。
集落しかなかったという話だが、街道沿いという事もあり、館跡がある可能性は充分高い。

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<<主要参考文献>>
宮代町史 民俗編 宮代町教育委員会  
みやしろ風土記 宮代町教育委員会 (1989)
宮代町遺跡調査報告書 第2集
「宿・源太山遺跡」
宮代町教育委員会 (2002)
宮代町文化財調査報告書 第9集
「宮代の中世遺物」
宮代町教育委員会 (2003)
宮代町文化財調査報告書 第11集
「国納丸屋遺跡・中寺遺跡・
伝承旗本服部氏屋敷跡遺跡」
宮代町教育委員会 (2003)
埼玉の館城跡 埼玉県教育委員会 (1969)