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大利根町(おおとねまち)
 埼玉県北東部の町で、利根川流域にあった。平成22年3月23日をもって加須市と合併し、新加須市の一部になった。

 中世期には武蔵国太田荘に属していたが、利根川による河川氾濫の為か中世期の館跡が周辺の町に比べて少ない。町の北側は主に水田となっているが、境となる旧利根川(浅間川)の流路沿いには旧家が立ち並んでいる為、開発時期などを調べた上で再調査をする必要がある。
当ページ収録城館跡一覧 早見表
中里氏屋敷
城館まがい地 早見表
阿佐間の土居
※注意 旧加須市域の城館はこちらをご覧下さい。
←各項目にあるこちらのアイコンはゼンリン社の現地地図にリンクしております。参考のまでにご覧下さい。

城名 中里氏屋敷 読み なかざとしやしき
中里氏の屋敷周辺
所在地 埼玉県加須市松永新田 所在地地図
別名 不動様屋敷 コード 11_07_008_00100
築城年 江戸初期 主な城主 中里吉右衛門元由
廃城年 不詳 形態 屋敷
   
歴史  慶長二十年(1615)の大阪夏の陣で、落ち延びてきた中里兄弟が万宝院跡にやってきて、帰農したと言われる。(中里氏の出自は未調査で不明)
 徳川氏の本拠である武蔵国に落ち延びた正確な理由は不明であるが、江戸期の北葛飾郡に点在する名主の出身が大阪方だったというケースは数軒見られる。おそらくは大阪方として江戸の状況を伝える役目を担った武士なのかも知れない。その子孫は今も現地に住み続けているようである。
 
遺構  旧家の周辺に堀があるが、これは水害除けである可能性が高い。近くの道端には中里氏の墓もある。

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<<主要参考文献>>
埼玉の中世城館跡 埼玉県 (1989)
埼玉の館城跡 埼玉県 (1969)
日本城郭大系5 新人物往来社 (1980)
日本城郭大集4 人物往来社 (1967)
利根川の歴史
-源流から河口まで-
金井忠夫著 (1997)

 
城名 阿佐間の土居 読み あさまのどい
阿佐間地区に今も残る土居、河川堤防であった可能性もある。
所在地 埼玉県加須市阿佐間
字竪野
所在地地図
別名   コード 11_07_008_10100
築城年 不詳 主な城主 不詳
廃城年 不詳 形態 屋敷?
   
備考  小字名「竪野」が「館野」から転じた可能性も考慮してまがい地で考えている場所。しかし、写真の場所は旧利根川(浅間川)の流路であり、砂丘上に築かれた堤防であるの可能性もある。
 東の間口地区にも同じ「竪野」の小字があり、古くからの集落であった為、名づけられた地名と言える。