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南河原村(みなみかわらむら)
 埼玉県北部の村で、熊谷市と行田市に挟まれた村であったが、2006年に行田市に編入合併をし、現在は行田市南河原地区となっている。

 中世には武蔵七党私市党出身の河原氏が住んでいた所とされ、源平合戦時に活躍した河原兄弟が住んでいた所として有名である。
 村内は氾濫原であった関係もあってか、河原兄弟以外の武士に関わる伝承は伝わらない。石仏関連で見ると江戸期に入ってからの物が多く、江戸期に入り本格的に新田開発がなされたものと思われる。
当ページ収録城館跡一覧 早見表
河原氏館

←各項目にあるこちらのアイコンはゼンリン社の現地地図にリンクしております。参考のまでにご覧下さい。

城名 河原氏館 読み かわらしやかた
所在地 埼玉県行田市南河原 所在地地図
別名   コード 11_07_006_00100
築城年 平安末期 主な城主 河原太郎高直
河原次郎盛直
廃城年 不詳 形態
   
備考  河原氏は武蔵七党私市党の出身とされている。私市則房の子成方は北埼玉郡や大里郡を転々とし、ついに北埼玉郡河原村に住むことになり河原権守を称したのが河原氏の始まりである。成方の子成澄は南埼玉郡太田に住むことになったので太田氏を名乗り、河原氏を継いだのはその弟である河原五郎成直であった。異説として河原氏の末裔である今村氏に伝わる系図では源氏の嫡流、八幡太郎義家の弟新羅三郎義光の血を引くという。
 高名な河原兄弟は五郎成直の子であり、寿永三年(1184)の生田の合戦において源氏方に居た。武名を高めるべく平氏方に兄弟二人にて先駆けを行ったが、多勢に無勢で弓の名手として西国で勇名であった備中の国の住人真名辺四郎、五郎兄弟の矢の餌食となり戦死したと平家物語では語る。
 また太平記に出てくる河原兵庫助という人物はこの河原兄弟の末裔で、こちらも祖先を誇り敵陣に一騎にて駆けて戦死を遂げ、河原一族の猛勇さを後世に伝える。

 観福寺の付近が河原氏の館跡と伝えるが、僅かな水路と国指定文化財である板石塔婆がその名残を伝えるのみである。

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<<主要参考文献>>
南河原の石佛 南河原村 (1985)
源平合戦の勇士 河原兄弟 南河原文化会 (1990)
埼玉の中世城館跡 埼玉県教育委員会 (1989)
埼玉の館城跡 埼玉県教育委員会 (1969)
日本城郭大系5 新人物往来社 (1980)
日本城郭大集4 人物往来社 (1967)