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岡部町(おかべまち)
埼玉県北西部に位置していた町。
江戸時代には中仙道が町内を通っていたが、深谷・本庄の両市に挟まれている為に現在となっては深谷市の一部になっている。
 岡部町を代表する武将として猪俣党の岡部六弥太忠澄がおり、町名にもなっている。
当ページ収録城館跡一覧 早見表
 1:安保氏館
 2:新井館
 3:安部氏陣屋
 4:今泉氏館
 5:上杉砦
 6:岡部氏館
 7:川辺館
 8:熊野遺跡
 9:黒田氏陣屋
10:源勝院館
11:白山遺跡
12:関畑館
13:西田館
14:西竜ヶ谷遺跡
15:針ヶ谷氏館
16:榛沢氏館
17:百間堀館
18:本郷陣屋
19:山崎氏館
20:六反田遺跡
※注意
この地図は平成の大合併以前の地図を用いております。深谷市内の城館所在地図はこちらをご覧下さい。
←各項目にあるこちらのアイコンはゼンリン社の現地地図にリンクしております。参考のまでにご覧下さい。


城名 安保氏陣屋 読み あぼしじんや
所在地 埼玉県深谷市後榛沢
伊勢方
所在地地図
別名 榛沢館 コード 11_06_005_00100
築城年 鎌倉期 主な城主 不詳
廃城年 不詳 形態
   
歴史
安保氏陣屋
 榛沢氏の館跡近くにある。地形的に若干の高まりと水堀のみを残す。
遺構

城名 新井館 読み あらいやかた
所在地 埼玉県深谷市針ヶ谷
新井
所在地地図
別名   コード 11_06_005_00200
築城年 不詳 主な城主 不詳
廃城年 不詳 形態
   
歴史
字新井に残る謎の遺構
 榛沢氏の館跡近くにある。地形的に若干の高まりと水堀のみを残す。
遺構  周囲より少し小高い所にあり、西側は用水路が流れる。

城名 安部氏陣屋 読み あんべしじんや
 
所在地 埼玉県深谷市岡部
上原
所在地地図
別名 安部摂津守陣屋岡部藩陣屋 コード 11_06_005_00300
築城年 戦国末期 主な城主 安部弥一郎信勝
廃城年 江戸末期 形態 陣屋
   
歴史
岡部藩安部氏の陣屋
 安部氏は駿河国阿部郡安倍谷の出であるといい、天正十八年(1590)に徳川家康が関東入府した時に、岡部他9つの村を安部摂津守弥一郎信勝が拝領した。江戸時代に岡部藩は一度も領主交代をせず明治維新を迎える。
 幕末に江戸幕府砲術方教授となった「高嶋流砲術」の祖となった高嶋秋帆が、弘文三年(1846)から嘉永六年(1853)の間、岡部藩預かりの身として捕らえられ、その内の三年間を当陣屋にて過ごしたのだという。
遺構  陣屋跡は現在宅地化されており、その遺構を探すのは難しい。「高嶋秋帆幽因の地」の石碑が建ち、かって陣屋がこの地にあった事を伝えている。

城名 今泉氏館 読み いまいずみしやかた
所在地 埼玉県深谷市今泉 所在地地図
別名   コード 11_06_005_00400
築城年 平安末期 主な城主 今泉氏
廃城年 不詳 形態
   
歴史
猪俣党今泉氏の居館
 今泉氏は猪俣党出身とし、「武蔵武士」には飯塚氏行の弟重能が今泉六郎を名乗ったとし、『小野系図』には「藤田能国 伊豫僧都(今泉)」と出ている。
遺構  小高い丘の上に平場がある。

城名 上杉砦 読み うえすぎとりで
所在地 埼玉県深谷市山河 所在地地図
別名 ダンダラ山 コード 11_06_005_00500
築城年 室町期 主な城主 不詳
廃城年 不詳 形態
   
歴史
遺構

城名 岡部氏館 読み おかべしやかた
所在地 埼玉県深谷市普済寺
古城
所在地地図
別名 岡部六弥太忠澄館、岡部城 コード 11_06_005_00600
築城年 平安末期 主な城主 岡部六弥太忠澄
廃城年 不詳 形態
   
歴史
猪俣党岡部氏の居館
 岡部氏は武蔵七党猪俣党出身の武士で、猪俣氏祖である兵衛尉時範の孫忠綱が岡部の地に住み、地名より岡部六大夫と称したのが始まりである。
 岡部氏が有名になるのは忠綱の孫になる六弥太忠澄が登場してからで、彼は平治の乱において悪源太源義平に従って関東武士一七騎の一人として待賢門の戦いで活躍した事が『平家物語」に記されている。しかしこの戦いには敗れた為に忠澄は郷里岡部に戻って、再起の機会を待つ事となった。
鬼神薩摩守忠度を討つ
 源頼朝(悪源太義平の弟)が挙兵すると、忠澄は源氏譜代の臣としてこの軍に従事する。忠澄の名を一躍挙げたのは寿永三年(1184)の一ノ谷の合戦で、『平家物語』の「忠度最後」がある。
 平家方の大将軍である薩摩守平忠度は、平清盛の末弟であり、武芸に優れ日本国の鬼神とも言われた武将であり、同時に歌人としても有名な人物であった。これは一ノ谷の合戦で平家方が敗北した時の話である。
 この忠度が百騎ばかりの手勢を率いて西に落ち延びる途中、岡部六弥太と出会う。味方と称する忠度に対して口元のお歯黒から平家の名の有る武士と見抜き、勝負を挑む。忠度の怪力と武技により六弥太は劣勢であったが、岡部氏郎党により忠度は右腕を切り落され、念仏を唱えながら六弥太に討たれた。これが名将平忠度の最後を聞き、敵味方共にその死を悼んだという。
岡部氏のその後
 忠澄は文治五年(1189)の奥州征伐にも従軍し、頼朝が建久元年(1190)に上洛した際にもその随兵として付き添った。そして建久八年(1197)七月に病没したという。
 こうした六弥太忠澄の活躍により、平忠度の荘園五ヶ所と伊勢国粥安富名(現三重県鈴鹿市甲斐町か?)の地頭職を与えられてている。こうした事もあって忠澄の子孫は遠く能登、伊勢、因幡などに移住したという。
遺構  当地普済寺は忠澄の居館と伝え、土塁の一部を残すのみといわれる。なお、『新編武蔵風土記稿』では当地の土塁は岡部氏の物ではなく、深谷上杉氏による城塞であるとしている。

城名 川辺館 読み かわべやかた
所在地 埼玉県深谷市榛沢
川辺
所在地地図
別名   コード 11_06_005_00700
築城年 不詳 主な城主 不詳
廃城年 不詳 形態
   
歴史  歴史的経緯などは不明。
遺構  川辺集落内に土塁などが残る。

城名 熊野遺跡 読み くまのいせき
所在地 埼玉県深谷市岡部内出 所在地地図
別名   コード 11_06_005_00800
築城年 不詳 主な城主 不詳
廃城年 不詳 形態
   
歴史  歴史的経緯等は一切伝えていない。
遺構  熊野遺跡周辺には城館跡に名づけられる傾向のある「内出(打ち出)」や「前屋敷」という地名が残る。同地若干の微高地あり。

城名 黒田氏陣屋 読み くろだしじんや
所在地 埼玉県深谷市岡部
中宿
所在地地図
別名 黒田豊前守陣屋 コード 11_06_005_00900
築城年 享保17年
(1732)
主な城主 黒田豊前守直邦
廃城年 不詳 形態 陣屋
   
歴史  黒田豊前守直邦が享保十七年に同地を領する事になり陣屋を設けたという。
遺構  古墳が周辺には密集しているが、陣屋と思われる遺構については見つける事ができなかった。

城名 源勝院館 読み げんしょういんやかた
所在地 埼玉県深谷市岡部
所在地地図
別名   コード 11_06_005_01000
築城年 不詳 主な城主 不詳
廃城年 不詳 形態
    
歴史  源勝院は安部家の菩提寺で、岡部藩の安部氏歴代藩主の墓がある。裏には岡部神社があって、ここには土塁がある。恐らくは以前ここに住んでいた武士がいたのかも知れないが、それを詳しく伝える資料は見つかっていない。
遺構  岡部神社境内によく土塁が残っている。あくまで予想であるが、近くに猪俣党岡部氏の館跡があり、岡部氏にゆかりのある館跡であったかも知れない。

城名 白山遺跡 読み しろやまいせき
所在地 埼玉県深谷市岡里団地 所在地地図
別名   コード 11_06_005_01100
築城年 不詳 主な城主 不詳
廃城年 不詳 形態 館?
   
歴史  歴史的経緯等を一切伝えていない。
遺構  河段丘の下辺りにあり、場所によっては比高差2m程の所もある。

城名 関畑館 読み せきばたけやかた
所在地 埼玉県深谷市後榛沢
関畑
所在地地図
別名   コード 11_06_005_01200
築城年 室町期? 主な城主 不詳
廃城年 不詳 形態
   
歴史  歴史的経緯は未調査の為現在不明である。
遺構  直ぐ近くに大関氏館があり、現在では宅地化されているものの水堀らしき名残が残されている。

城名 西田館 読み にしだやかた
 
 
所在地 埼玉県深谷市西田 所在地地図
別名   コード 11_06_005_01300
築城年 不詳 主な城主 井草左衛門尉勝貞
廃城年 不詳 形態
   
歴史  深谷上杉氏の家臣に「深谷上杉四天王」と呼ばれる家臣がおり、ここに住んだとされる井草氏は
遺構

城名 西竜ヶ谷遺跡 読み にしりゅうがいいせき
所在地 埼玉県深谷市山河 所在地地図
別名 野部氏館? コード 11_06_005_01400
築城年 平安期? 主な城主 野部六郎広兼
廃城年 不詳 形態
   
歴史  野部氏は猪俣党の祖である野兵時範の子野七家兼の長子広兼が当地に住み野部六郎広兼と名乗ったのが始まりと言われる。以後も榛沢郡の名族として戦国期まで続いたらしく、『新編武蔵風土記稿』には鉢形北条氏邦に仕え感状五通賜ったという事が書かれる。
遺構  遺構は開発によって埋もれてしまっている。

城名 針ヶ谷氏館 読み はりがやしやかた
 
 
所在地 埼玉県深谷市針ヶ谷 所在地地図
別名   コード 11_06_005_01500
築城年 不詳 主な城主 針ヶ谷氏
廃城年 不詳 形態
   
歴史  針ヶ谷氏は丹党の出身とされ、その祖は入間冠者経房であるという。特に詳しい事は分からないがこの地に所領を得た事により針ヶ谷氏を名乗るようになったという。
遺構

城名 榛沢氏館 読み はんざわしやかた
所在地 埼玉県深谷市後榛沢
伊勢方
所在地地図
別名 榛沢六郎成清館 コード 11_06_005_01600
築城年 平安末期 主な城主 榛沢六郎成清
廃城年 不詳 形態
   
歴史  榛沢氏は丹党出身で、『七党系図』には秩父黒丹五基房の子成房が榛沢三郎を名乗ったとし、『武蔵武士』には新里綱房の弟成房(光経)が榛沢氏を名乗ったとしている。
 六郎成清は成房の子で、畠山重忠とは乳兄弟という関係から家臣として多くの合戦に参加していた。弓馬の術に優れ、重忠の信頼も厚かった。
 元久二年六月、相州二俣川において重忠と共に謀反の冤罪を着せられ討死した。
遺構  今、集落の中に榛沢六郎成清の供養塔が建っており、その周辺が館跡であったと伝える。明確な遺構は残されていないが、周囲に比べて地形が高まっている。

城名 百間堀館 読み ひゃっけんぼりやかた
所在地 埼玉県深谷市櫛引 所在地地図
別名   コード 11_06_005_01700
築城年 不詳 主な城主 不詳
廃城年 不詳 形態
   
歴史  歴史的経緯は不明である。
遺構  周辺には窪地らしきところがあるが、直接城館遺構に繋がる所は発見できなかった。

城名 本郷陣屋 読み ほんごうじんや
所在地 埼玉県深谷市本郷
木の内
所在地地図
別名 菅沼小大膳定利陣屋 コード 11_06_005_01800
築城年 戦国末期? 主な城主 菅沼小大膳定利
廃城年 戦国末期? 形態 陣屋
   
歴史  徳川家康家臣菅沼氏の陣屋で上州吉井城に2万石を賜ったという。
遺構  現在供養塔が建っておりここが陣屋の北端だという。明確な遺構については農地化されており分かっていないが、

城名 山崎氏館 読み やまざきしやかた
 
 
所在地 埼玉県深谷市山崎 所在地地図
別名   コード 11_06_005_01900
築城年 不詳 主な城主 山崎氏
廃城年 不詳 形態
   
歴史  
遺構

城名 六反田遺跡 読み ろくたんだいせき
所在地 埼玉県深谷市榛沢
六反田
所在地地図
別名   コード 11_06_005_02000
築城年 不詳 主な城主 不詳
廃城年 不詳 形態 館?
   
歴史  室町期頃の集落跡があったという。
遺構  現地に東京電力新岡部変電所が建設されるにあたり、発掘調査が行われている。現在は変電所になり遺構は壊滅していると思われる。
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<<主要参考文献>>
岡部町埋蔵文化財調査報告書5
町内遺跡T
岡部町 (2000)
岡部町の文化財(改訂版) 岡部町 (1995)
岡部町文化財地図 岡部町 (2000)
埼玉の中世城館跡 埼玉県教育委員会 (1989)
埼玉の館城跡 埼玉県教育委員会 (1969)
日本城郭大系5 新人物往来社 (1980)
日本城郭大集4 人物往来社 (1967)
武蔵武士 (上) 成迫政則 著 (2002)