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美里町(みさとまち)
 埼玉県北西部に位置している町。中世より鎌倉街道上道が通っていて交通の盛んな街道筋の地区である。古来は志戸川付近を境に北は若泉庄、南は松久庄に分かれていた。
 ここは武蔵七党の一つ猪俣党が中心に栄えた土地で、町内の館跡も猪俣党にゆかりの多い遺構が数多くある。

 現在の町内はさして都市化の波は進攻しておらず、とても趣のある風景の中、中世城館を楽しむ事ができる。
当ページ収録城館跡一覧 早見表
1:阿那志堀の内 11:円良田城
2:甘粕城 12:新倉館
3:猪俣館 13:新堀屋敷
4:猪俣城 14:広木吉原城
5:大関氏館 15:古凍氏館
6:木部氏館 16:小栗氏館
7:薦田氏館 17:河勾氏館
8:御所内館 18:中郡氏館
9:桜沢氏館 19:湯本氏館
10:白石城 20:栃窪氏館
←各項目にあるこちらのアイコンはゼンリン社の現地地図にリンクしております。参考のまでにご覧下さい。


城名 阿那志堀の内 読み あなしほりのうち
所在地 埼玉県児玉郡美里町
阿那志字阿那志
 
別名   コード 11_05_004_00100
築城年 不詳 主な城主 不詳
廃城年 不詳 形態
   
歴史
遺構

城名 甘粕城 読み あまかすじょう
所在地 埼玉県児玉郡美里町
甘粕堀ノ内
 
別名   コード 11_05_004_00200
築城年 平安末期 主な城主 甘糟氏
廃城年 不詳 形態
   
歴史
猪俣党出身の甘糟氏の城
 猪俣党の野太忠基の子家基が那珂郡甘糟に住し甘糟と称した。その子甘糟野次広忠は元暦元年(1184)に平家討伐に参加し、源頼朝を喜ばせている。その子孫も鎌倉幕府の為に戦い、負傷したという記録が残る。
遺構
 一説には近くの民家が館跡であるとされるが、確かではない。円弧を描くように水路が流れている程度であり、明確な遺構は残されていない状態である。

城名 猪俣館 読み いのまたやかた
所在地 埼玉県児玉郡美里町
猪俣字庫屋敷
 
別名 猪俣小平六範綱
コード 11_05_004_00300
築城年 不詳 主な城主 猪俣氏
廃城年 不詳 形態
   
歴史
武蔵七党猪俣党の惣領家
 武蔵七党の一つである猪俣党の惣領家猪俣氏が代々居住したと思われる館跡で、一の谷合戦において活躍したかの小平六範(則)綱にあやかって「猪俣小平六範綱舘」と石碑に書かれる。
 猪俣氏は横山党と祖を同じで、その遠祖に小野篁(おののたかむら)がいる。篁から七代孫の隆(孝)泰の時に武蔵守に就任し、南多摩郡横山庄を開拓して土着した。
 隆泰の子に横山党の祖になった兄義隆、そしてこの地猪俣に住むようになった弟時資がおり、猪俣党はこの時資が祖となった。
猪俣小平太範綱
 当館の名称ともなっている範綱は時資から五代孫に当たり、平安末期の源平合戦において活躍した人物である。保元・平治の乱においては源義朝の十六騎に数えられた。
遺構
 猪俣川と正円寺川が合流する地点に館跡があったと思われるが、耕地及び集落地化した関係で明確な遺構は特に見る事ができない。

城名 猪俣城 読み いのまたじょう
所在地 埼玉県児玉郡美里町
猪俣字城下
 
別名   コード 11_05_004_00400
築城年 不詳 主な城主 猪俣氏
廃城年 不詳 形態 山城
   
歴史
猪俣氏の詰城、後に鉢形城の史城に
 猪俣氏にゆかりのある山城と伝える、築城された時期などは特に伝えていないが戦国期頃に作られたものと考えられる。
 中世後期における猪俣氏の詰め城で、円良田城と同じく鉢形城の支城あった可能性がある。『新編武蔵風土記稿』によれば北条氏邦に従って大須賀五郎左衛門と酒匂萱野で戦い敗れて、当地を去ることになったとも書かれている。
 周辺の城同様に詳しい記録は無いが、小田原北条氏が天正十八年に滅びると同時に廃城となったと思われる。
遺構
猪俣城の訪問記及び写真はこちら
 鐘撞堂山から北に派生する尾根上にあり、標高305mのピークを中心に主に北西方面の尾根に遺構が集中している。この尾根を下って行くと現在はゴルフ場敷地内であるが、猪俣館へ辿り着く。当城は秩父山塊の先端部になり、北から南東の広角度を関東平野が広がっていて遮る物も無く、物見の砦としては絶好の立地条件である。
 主郭部分は中心に大きな窪みがあり、南北に長い為堀切で半分程区切り竪堀を付けて守りを固めている。その周辺は数段の平場がある位だが、末端に行くに連れて堀切や腰郭などの設備が見られるようになってくる。この事からみるだけでも平場のみの部分がかっての猪俣城の範囲で、鉢形城の支城となってから堀切などの増強をなされるようになったと考えるのが自然であろうか。
 西側には同等の高度がある円良田城と向かい合っており、かろうじて花園御嶽城が見えそうな位置にある。これらの城を通じて鉢形城と連携をとっていたと考えられる。

城名 大関氏館 読み おおぜきしやかた
 
所在地 埼玉県児玉郡美里町
阿那志字大関
別名   コード 11_05_004_00500
築城年 鎌倉期 主な城主 大関氏
廃城年 不詳 形態
   
歴史
那須七騎の一人大関氏の故郷
 大関氏は丹党出身の武士と言われ、『大関系図』には畠山重忠に仕えた阿保太郎実房の子高清が当地において大関肥前守を称した事から始まるという。
 しかし、神川町の安保に住んだとされる丹党大田原氏より養子縁組するにあたり丹党になったとされたり、記述の混乱が少々見られる。こちらも今後の課題として資料を整頓して、まとめていかなくてはならない。
遺構
 遺構は竹薮の中に僅かな土塁をのこしている。

城名 木部氏館 読み きべしやかた
 
所在地 埼玉県児玉郡美里町
木部字東
別名   コード 11_05_004_00600
築城年 不詳 主な城主 木部氏
(木里氏?)
廃城年 不詳 形態
   
歴史
猪俣党木部氏の館
 木部氏は猪俣党の猪俣家兼の子行兼が木部に住み木部次郎を名乗ったのが始まりとされる。館跡と思われる集落は東に水堀を構え、西側も民家の垣根になりながらも土塁として残っている。
 「姓氏家系大辞典」にはここに住んでいた者は木里(きさと)氏とある。
遺構

城名 薦田氏館 読み こもだしやかた
 
所在地 埼玉県児玉郡美里町
小茂田字下児玉東
別名 小茂田堀の内 コード 11_05_004_00700
築城年 不詳 主な城主 薦田氏?
廃城年 不詳 形態
   
歴史
児玉党薦田氏の館
 「姓氏家系大辞典」によると児玉党から出た薦田氏がここより出でたとある。薦田弾正左衛門は太平記にも名を連ねている。
遺構
 遺構ははっきりとしていないが、勝輪寺を囲むかの様に榛沢用水路が流れ、深い谷を作っている。また堀にも見える溝が見受けられるが、確かな事は未確認である。

城名 御所内館 読み ごしょうちやかた
 
所在地 埼玉県児玉郡美里町
広木字御所ノ内
別名   コード 11_05_004_00800
築城年 不詳 主な城主 不詳
廃城年 不詳 形態
   
歴史
御所の名の付く謎の遺構
 広木吉原城のあったとされる付近にある遺構で、丘陵の中腹に人工で作られたとされる平場が存在している。字御所ノ内という地名からも身分の高い者の住まいであった事も考えられるが、その居住者や歴史については特に伝えていない。
遺構

城名 桜沢氏館 読み さくらざわしやかた
 
所在地 埼玉県児玉郡美里町
南十条字南曲輪
別名   コード 11_05_004_00900
築城年 不詳 主な城主 桜沢氏
廃城年 不詳 形態
   
歴史
猪俣党桜沢氏の居館
 猪俣党今泉重能の弟、氏兼三郎衛門二子である宗氏が榛沢郡桜沢に住した事から桜沢氏が発したとされる。また、寄居町にも桜沢氏の館と思われる桜沢氏館があり、当地はそこから分家として出た者の館であった可能性も考えられる。
遺構
 小山川から用水路が流れ、その南岸の宅地が少々小高くなっている。

城名 白石城 読み しらいしじょう
 
所在地 埼玉県児玉郡美里町
白石城山
別名   コード 11_05_004_01000
築城年 不詳 主な城主 白石播磨守宗清
廃城年 不詳 形態 丘城
   
歴史
猪俣党白石氏の城
 北方のよく見渡せる丘陵上に築かれた城。文献による初見は新編武蔵風土記稿で、猪俣弾正少弼定平の次男播磨守宗清が築城し、そこに居住し白石を姓とした。
遺構
 遺構は西側になる二の曲輪部分が粘板岩質により工業用に使えるため、土取りされた。これにより一部消滅しているが、今も溝などが残っている。

城名 円良田城 読み つぶらたじょう
所在地 埼玉県児玉郡美里町
円良田城山
別名 虎ヶ岡城
府免ヶ岡城
コード 11_05_004_01100
築城年 不詳 主な城主 猪俣氏?
藤田氏
廃城年 不詳 形態 山城
   
歴史
鉢形城の支城である山城
 長瀞町との境界線上にある城で、美里町側からは「円良田城」と呼ばれ、長瀞町側からは「虎ヶ岡城」と呼ばれる。また「北武蔵名跡考」では府免ヶ岡城と書かれる。
 武蔵志では猪俣氏の持ち城とし、大里郡郷土史には藤田氏関連の城としている。いずれにしても猪俣党関連の城であると思われ、戦国末期には鉢形城の主要支城として活躍していた。
遺構
円良田城の訪問記および写真はこちら
 陣見山から東に伸びる尾根のピークに作られており、主郭部分の標高は337mである。その尾根筋を切るようにかなり大きめな堀切が設けられており、竪堀も見られる。
南側にも一部緩やかな地形があり、そこには腰郭が設けられ、更に先は急崖になって落ちている。

城名 新倉館 読み にいくらやかた
 
所在地 埼玉県児玉郡美里町
南十条新倉字石川曲輪
別名   コード 11_05_004_01200
築城年 不詳 主な城主 不詳
廃城年 不詳 形態
   
歴史
地名のみ残った謎の遺構
 文献に記載は見られず、発掘調査によって初めて所在が明らかになった。ゆえに居住者や歴史的な事については不明である。
遺構
 県道と集落の中間の田園地帯がその場所で、明確な遺構は確かめる事ができなかった。

城名 新堀屋敷 読み にいほりやしき
所在地 埼玉県児玉郡美里町
駒衣字新堀・赤尾
別名 長者面 コード 11_05_004_01300
築城年 不詳 主な城主 不詳
廃城年 不詳 形態
   
歴史
馬牧管理者の屋敷か?
 田園地帯にあったとされる近年まで水堀の一部が残存していたというが、昭和五十年代の圃場基盤整備事業の実施により遺構は破壊されたという。
 美里町史ではここを馬牧を管理者である別当の屋敷と捉えている。
遺構

城名 広木吉原城 読み ひろきよしわらじょう
 
所在地 埼玉県児玉郡美里町
広木字吉原
別名   コード 11_05_004_01400
築城年 不詳 主な城主 一色入道範行
廃城年 不詳 形態
   
歴史
一色氏の居館と伝わる謎の城
 新編武蔵風土記稿には広木字吉原に一色氏の居館があったと伝えるが、この頃にも場所の測定が難しかったようである。埼玉県では幸手城の一色氏がいるが、当地の一色氏もこの一族であったと考えられる。
遺構
 近くにある大興寺も当時からあったようで、周辺の地形をみるとここを拠点としていた可能性があると思われる。

城名 古郡氏館 読み ふるごおりしやかた
所在地 埼玉県児玉郡美里町
古凍字古館
別名   コード 11_05_004_01500
築城年 不詳 主な城主 古凍氏
廃城年 不詳 形態
   
歴史
出自に諸説のある古郡氏
 古郡氏は出身が色々諸説があり、「武蔵武士」には猪俣党甘糟家基の弟忠時が古郡六郎を名乗ったとしているが、「姓氏家系大辞典」によると小野姓横山党と丹党出身の古郡氏が乗っているという。両者を正確とみるならば、この地は度々武蔵七党各氏が入れ替わり、その度に古郡の姓を使用したという事であろうか。
遺構
 美里町役場周辺は館跡らしき風情があり、僅かに土塁や水堀が残っている。

城名 小栗氏館 読み おぐりしやかた
 
所在地 埼玉県児玉郡美里町
猪俣小栗字海道下・海道上
別名   コード 11_05_004_01600
築城年 不詳 主な城主 小栗氏
廃城年 不詳 形態
   
歴史
猪俣党小栗氏の居館か?
 小栗氏は猪俣党の出身で、猪俣忠基の長子忠家が小栗氏を称した。
遺構
 館跡の明確な場所は分からないが、近くを鎌倉街道が走っており、それを見下ろせる字海道下の丘陵中腹にあったのではないかと思われる。

城名 河勾氏館 読み かわわしやかた
 
所在地 埼玉県児玉郡美里町
関字川輪
別名   コード 11_05_004_01700
築城年 不詳 主な城主 河勾氏
廃城年 不詳 形態
   
歴史
猪俣党河匂氏の居館
 河勾氏は猪俣野太郎忠基の子である野五大夫政基が河勾氏を名乗ったのが始まりで、子孫はたびたび吾妻鏡に名を連ねている。
遺構
 現在館跡は田園地帯の集落になっており、僅かながら微高地となって残る。

城名 中郡氏館 読み なかごおりしやかた
 
所在地 埼玉県児玉郡美里町
松久
 
別名 中郡六郎太郎館 コード 11_05_004_01800
築城年 不詳 主な城主 中郡六郎太郎経元?
廃城年 不詳 形態
   
歴史
謎の武士中郡氏
 「吾妻鏡」や「旧版埼玉縣史」に現在の美里町松久(旧松久村)にあったとだけ書かれるのみで、その詳しい場所などについては言及されていない。
遺構
 現在の美里町遺跡の森付近にあったのだろうか?

城名 湯本氏館 読み ゆもとしやかた
 
所在地 埼玉県児玉郡美里町
猪俣湯本字中内手
別名   コード 11_05_004_01900
築城年 不詳 主な城主 湯本氏
廃城年 不詳 形態
   
歴史
猪俣党湯本氏の居館か?
 湯本氏は猪俣出身で、「小野氏系図」によれば猪俣小平六範綱の孫である三郎兼綱が湯本を姓とした事より始まるという。
遺構
 現在明確な遺構は残されていないものの、地名に中内手という館跡の名残を思わせる地名が使われているのみである。

城名 栃窪氏館 読み とちくぼしやかた
 
 
所在地 埼玉県児玉郡美里町
猪俣栃久保
 
別名   コード 11_05_004_02000
築城年 不詳 主な城主 栃窪氏
廃城年 不詳 形態
   
歴史
猪俣党出身の栃窪氏の居館?
 栃窪氏は猪俣出身で、猪俣範高の弟景綱が栃窪五郎を名乗ったのを始まりとする。
遺構
 猪俣栃久保の現在地がよく分かっておらず、現在調査中である。


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