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都幾川村(ときがわむら)
 埼玉県中央やや西の秩父山地の東に位置する村であった。現在では隣の玉川村と合併をして「ときがわ町」となっている。

 中世においては村内にある慈光寺が独自の勢力をもって自治体制を持っていた為に上田氏に焼き打ちに遭っている。また、山間部という地形の為か戦落ちした武士が多く移り住んでおり、そのまま土着し当地の土豪になるケースが多く見られる。
 いずれにしても中世期は戦と関わりが深い村であったのは言えており、現在残されている遺構もそれを物語る所が殆どである。
当ページ収録城館跡一覧 早見表
大築城 橋倉城
城館遺構まがい編(下記は全て仮称です)
馬場氏館 加藤氏館 大月館 荻窪氏館

※  地図は旧都幾川村のものです。ときがわ町玉川地区の城館はこちらをご覧下さい。
←各項目にあるこちらのアイコンはゼンリン社の現地地図にリンクしております。参考のまでにご覧下さい。


城名 大築城 読み おおづくじょう
所在地 埼玉県比企郡
ときがわ町西平字大築
別名 大津久城 コード 11_03_009_00100
築城年 戦国時代 主な城主 上田案独斎
廃城年 不詳 形態 山城
訪問日  
歴史
 慈光寺攻めの前線拠点として作られた山城。
遺構
 以降は大築山山頂に築かれ、城があるという話は伝わってきていたが、その明確な遺構は昭和四十年代の台風被害で遺構があらわになるまであまり知られていなかった。
 本曲輪の東側に防衛設備が集中しており、西側はそれほど意識はされていないようで簡素である。これは東の尾根を伝って北にある慈光寺を攻めていた事に由来するであろうか。巨大な二条の堀切をはじめとして、虎口も両サイドからの挟み撃ちが可能な設備であったりと、慈光寺を攻めるだけにしてかなりの高機能を擁している。
 もう一つの特徴として南尾根上にある「モロドノ郭」の存在がある。慈光寺とは反対方向尾根に展開されており、大築城本体の遺構と作り方が違う。これに関しては個人的に伝承のみしか伝わっていない「吾那蜆城」の候補地に挙げられると思われる。蜆城は北条氏家臣遠山氏が河越城急襲の為に築いた城であるが、モロドノ郭はその河越城方面の視界が良好で、越生が河越と秩父を繋ぐ街道筋にある事を踏まえれば、ここに築かれていてる可能性があると見ている。だが、真実に近づけるにはそれ以外にモロドノ郭を作る必要があるのかを模索するべきである。

城名 橋倉城 読み はしくらじょう
所在地 埼玉県比企郡
ときがわ町大野字橋倉
別名 大野城
大野弾正城
コード 11_03_009_00200
築城年 天正年中 主な城主 野口孫三郎
廃城年 不詳 形態
訪問日  
歴史
 山中に村を作り住んだ野口・森田一族の居館。
遺構
 橋倉城のあったとされる場所は山の中腹に存在し、現在ではハングライダーの発射場となっている。遺構は特に見られないものの、湧水はあり地形もここだけなだらかな事から山中に隠れ住む場所として最適である。

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城名 馬場氏館 読み ばばしやかた
所在地 埼玉県比企郡
ときがわ町馬場字馬場
別名   コード 11_03_009_10100
築城年 平安末期 主な城主 馬場兵衛次郎頼房
馬場源次郎頼直
廃城年 不詳 形態
訪問日  
備考  『田中村市川氏系図』によれば馬場氏は清和天皇十代孫頼光の嫡流で、帯刀先生義賢の家臣であったという。義賢が甥の悪源太義平に殺害されると、馬場氏含めた八人が都幾川村に落ち延び隠れ住み土着、以後子孫代々この地に住んだという。

城名 加藤氏館 読み かとうしやかた
所在地 埼玉県比企郡
ときがわ町別所字内手
別名   コード 11_03_009_10200
築城年 平安末期 主な城主 加藤内蔵助貞明
加藤隼人宗正
廃城年 不詳 形態
訪問日  
備考   加藤氏も帯刀先生義賢の家臣で、『市川氏系図』によれば藤原秀郷の八代後胤で、安房の住人であったという。加藤内蔵助貞明はこの地に落ち延び、隠れ住んだという。(市川氏系図によれば腰越郷に住したとある)
 戦国時代の天正期(1573〜1591)の陳札には当時の当主と思われる「加藤隼人宗正」の名が残っている。この時代には上田安独斎の家臣、安戸城主山田伊賀守に仕えたという。

城名 大月館 読み おおつきやかた
所在地 埼玉県比企郡
ときがわ町大附字内手
別名   コード 11_03_009_10300
築城年 天正年中 主な城主 某(大月)左近
廃城年 不詳 形態
訪問日  
備考  松山城主上田氏の家臣であった某左近という人物がこの地に住んだという。
当時この地の地名であった「大月」を姓として土着したという。

城名 荻窪氏館 読み おぎくぼしやかた
所在地 埼玉県比企郡
ときがわ町瀬戸
別名   コード 11_03_009_10400
築城年 平安末期 主な城主 荻久保弥次郎平祐広
廃城年 不詳 形態
訪問日  
備考  荻窪氏は平安末期に源義賢に仕えた家臣の一人である。その出自は相州三浦氏の一党で、津久井荻野別流であるという。荻窪弥次郎祐広が明覚郷に住し、荻日吉社を祀ったという。