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鳩山町(はとやままち)
 埼玉県内でほぼ地図の中心付近にある町。町の南北を縦断するかの如く鎌倉街道上道が走っており、中世の遺構が小規模ながらも数多く残る町である。
 また丘陵地帯にも幾つかの城館跡があるのではないかと言われており、まだまだ中世城館の遺構が発見されそうな町でもある。
当ページ収録城館跡一覧 早見表
 1:泉井屋敷
 2:大橋御所
 3:越生氏館
 4:おしゃもじ山
 5:熊井城
 6:熊井陣屋
 7:小用堀の内
 8:笹山城
 9:ダイノヤマ城
10:竹之城
11:夜一山
←各項目にあるこちらのアイコンはゼンリン社の現地地図にリンクしております。参考のまでにご覧下さい。


城名 泉井屋敷 読み いずいやしき
 
所在地 埼玉県比企郡鳩山町
泉井
所在地地図
別名   コード 11_03_006_00100
築城年 治承年間?
(1177〜1180頃)
主な城主 井上判官行重
廃城年 不詳 形態
   
歴史  『泉井村誌』に記載のある屋敷で、治承の頃、泉井郷を領した井上氏の館跡であるとし、その嫡子は泉井殿と言われたという。記述はその位でその後どうなったかなどは分からない。
遺構  泉井地区にある八幡沼という農業灌漑用の貯水池付近にあったと言われる。現在は一部宅地になっているが、付近の旧家の脇にそれらしき溝を見ることができる。

城名 大橋御所 読み おおはしごしょ 大橋御所(中央の鉄塔付近)を望む
所在地 埼玉県比企郡鳩山町
大橋
所在地地図
別名   コード 11_03_006_00200
築城年 承久頃?
(1219〜1221)
主な城主 井上判官行重
宗良親王
廃城年 不詳 形態
   
歴史  笛吹峠の合戦の際、宗良親王が陣地としたという。
遺構  大橋バス停付近にバス折り返し場があり、この裏の竹林付近であるとされる。年間を通して竹が密集しているため見通しが悪く、遺構の全貌を把握するのは難しい状態である。

城名 越生氏館 読み おごせしやかた 越生氏の館があったと伝えられる場所の様子
所在地 埼玉県比企郡鳩山町
大豆戸
所在地地図
別名   コード 11_03_006_00300
築城年 平安末期? 主な城主 越生氏
廃城年 不詳 形態
   
歴史  比企郡大豆戸郷を児玉党越生氏が所領していたという記録が残る。越生氏は南北朝期に反足利尊氏方として行動していた事もあってか、応永十四年以前には領主が明石左近将監に変わっていたようである。
遺構  大豆戸地区の小高くなった所がかって越生氏の屋敷があったとされるが、現在は耕地および宅地になっており遺構を見る事ができない。

城名 おしゃもじ山 読み おしゃもじやま 工事によって出現した溝付近の様子
所在地 埼玉県比企郡鳩山町
赤沼
所在地地図
別名   コード 11_03_006_00400
築城年 貞治四年(北朝)
正平十九年(南朝)
(1365)?
主な城主 芳賀禅可入道高名?
廃城年 不詳 形態 陣城
   
歴史  南北朝時代の苦林野合戦における芳賀入道陣城と伝わる山。
遺構  現在は公園になっているが、南東の今宿小学校近くの斜面に堀跡と伝える溝が僅かながら残っているが、何時の頃のものであるかは判定が難しい。向きからして竪堀とも取れるが、大部分が破壊されており分からなくなってしまっている。

城名 熊井城 読み くまいじょう 中央の丘が熊井城があった場所
所在地 埼玉県比企郡鳩山町
熊井
所在地地図
別名 熊井氏館 コード 11_03_006_00500
築城年 平安末期 主な城主 熊井太郎忠基
廃城年 平安末期? 形態
   
歴史  『熊井村史』などにより熊井太郎忠基の館跡と伝わっており、忠基は一族郎党を引き連れ源九郎義経に従って壇ノ浦の合戦で平行盛を討ち取ったという。後に平家が滅亡し、義経が兄頼朝によって追われた時、忠基は義経を慕って鎧を埋めて奥州へ向かったのだという。この鎧を埋めた場所を「鎧塚」と呼んでいたが、後に愛宕社が建てられると愛宕塚と呼ぶようになったという。
 この熊井氏より出た六郎清親は紀州鈴木荘に住む事になったとき、故郷である亀井荘の名をとって亀井氏を名乗った。この亀井氏もまた源義経に従い奥州まで共に落ちている。
遺構  現在は妙光寺の裏山にある。妙光寺と丘との間の斜面には長さ20m程のごく僅かな溝を遺している。おそらくは城域である丘を取り巻く様に堀があったのかも知れない。

城名 熊井陣屋 読み くまいじんや
熊井陣屋跡地に広がる平地
所在地 埼玉県比企郡鳩山町
熊井
所在地地図
別名   コード 11_03_006_00600
築城年 延宝七年
(1680)
主な城主 内藤式部少輔正次
廃城年 元禄十六年
(1703)
形態 陣屋
   
歴史  23年程しか使われなかった鳩山町の陣屋。
遺構  現地は鎌倉街道上道を見下ろす立地条件にあり、見晴らしは良い。しかし周辺は果樹園などの農地に転換されており、一部に土塁とも思えるような塚が残っている。

城名 小用堀の内 読み こようほりのうち
小用に残る土塁
所在地 埼玉県比企郡鳩山町
小用
所在地地図
別名   コード 11_03_006_00700
築城年 不詳 主な城主 不詳
廃城年 不詳 形態
   
歴史  居住した人などを伝えない謎の遺構である。おそらくは室町後期頃、小用に居住していた土豪の屋敷であった可能性が高い。
遺構  なだらかな丘陵線上に所在し、旧家の北側に櫓台と思われる土塁をよく遺している。

城名 笹山城 読み ささやまじょう 笹山城推定地付近の様子
所在地 埼玉県比企郡鳩山町
高野倉
所在地地図
別名   コード 11_03_006_00800
築城年 不詳 主な城主 不詳
廃城年 不詳 形態 山城
   
歴史  伝承などを伝えていないが、すぐ脇を通る道がかって菅谷と越生を結ぶ街道であった事を踏まえれば物見の砦であった可能性も考えられる。
遺構  推定地が2箇所あり、東にある推定地には山頂に平場があり、ごく僅かであるが東西に一条の溝がある。屋敷跡にも取れるが、再度調査をしてみる必要がありそうである。

城名 ダイノヤマ城 読み だいのやまじょう 中央の丘がダイノヤマ城
所在地 埼玉県比企郡鳩山町
奥田
所在地地図
別名   コード 11_03_006_00900
築城年 不詳 主な城主 不詳
廃城年 不詳 形態 砦?
   
歴史  鳩山町史「鳩山の歴史 上」に記載されている遺構で、当書には「ダイノヤマ城館類似遺構」として図面がある。歴史的経緯については不明である。
遺構  奥田の氷川神社の南東側の伸びた尾根を利用して堀らしき物が掘られており、屋敷というより物見の砦のようにも思われる。

城名 竹之城 読み たけのじょう
竹之城付近の灌漑用水路
所在地 埼玉県比企郡鳩山町
赤沼
所在地地図
別名   コード 11_03_006_01000
築城年 奈良平安? 主な城主 不詳
廃城年 南北朝? 形態
   
歴史  鳩川沿いに作られた中世初期頃までと推定される館跡。居住した人物などは伝えていないが、発掘された遺物により南北朝期頃まで使用されていた館である可能性がある。
遺構  現地は農地などになっており、遺構が残されていた可能性は極めて少ない。深い溝が周囲を囲むが、これも農業用の堀である可能性が高い。

城名 夜一山 読み よいちやま 中央の森になっている部分が夜一山と呼ばれる山
所在地 埼玉県比企郡鳩山町
石坂
所在地地図
別名   コード 11_03_006_01100
築城年 不詳 主な城主 新田義宗
廃城年 不詳 形態 陣城
   
歴史  南北朝期、新田義貞の子である義宗が幕府方に夜襲(夜討ち)を受けた山と伝わる。
遺構  小高い丘の上に削平地があるが、現在は神社と送電鉄塔、テニスコート造成によりなかば破壊されている。西側は尾根続きであったが、近年になり土取りによって破壊されている。


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