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日高市(ひだかし)
 埼玉県南西部の市である。古くは渡来人である高麗人が集められ生活を営んでいた。
 中世になると秩父平氏が、更に丹党が一部を所領としており、それぞれが高麗氏を名乗っている。また鎌倉街道上道沿いには女影四郎と言った武士も現れ、それら武蔵武士たちの館跡が市内に点在している。
当ページ収録城館跡一覧 早見表
台城 神田屋敷 高麗氏館 三枝氏館
山口氏館 女影氏館 弥次郎屋敷 高萩堀内
内村屋敷 とうこう屋敷 雷山城 高萩中丸
高麗陣屋 中鹿山陣屋 旗塚
       
城館遺構まがい編(下記は全て仮称です)
田木館 新屋敷 北大谷沢館 女影出口遺跡
←はゼンリン社の地図です、参考のまでにご覧下さい。


城名 台城 読み だいじょう
  
所在地 日高市台字住吉
別名 秀殿屋敷、岡城 コード 11_02_013_00100
築城年   主な城主 岡上隼人正
廃城年   形態 丘城
    
備考  

城名 神田屋敷 読み かんだやしき
 
所在地 日高市猿田字西の内
別名   コード 11_02_013_00200
築城年   主な城主 丹党高麗氏?
廃城年   形態
    
備考 今も旧家に土塁を残す。
『日高市史通史編』においては近くに丹生の地名がある事などから、ここを丹党高麗氏の館跡の可能性があると示唆している。

城名 高麗氏館 読み こましやかた
 
所在地 日高市北平沢字武藤ヶ谷戸
別名 大蔵院元屋敷 コード 11_02_013_00300
築城年 平安末期 主な城主 平氏高麗氏?
廃城年 不詳 形態
    
備考 地元においては名主の屋敷跡と伝える。
『日高市史通史編』においては高麗神社との距離などから、平氏秩父氏から出た高麗氏の館跡ではないかと仮説している。
また、関口芳次氏の著書『平澤の歴史』によれば、「〜ヶ谷戸」と付く地名は扇谷上杉氏の遺臣が隠れ住み開拓した地名に名付けられるという説を出しており、これに則ると扇谷上杉氏配下の武藤某がこの地に隠れ住み、その名を冠して「武藤ヶ谷戸」とつけたという見方もある。

城名 三枝氏館 読み さえぐさしやかた
 
所在地 日高市女影字上旅屋
別名 三枝氏屋敷 コード 11_02_013_00400
築城年 戦国末期? 主な城主 三枝土佐守守重
廃城年 寛永年間 形態 屋敷
    
備考 三枝氏は甲斐国出身で、守吉が武田氏滅亡後徳川家康に仕えてこの地に知行を得たという。守吉の息守重は徳川家光の小姓となり、後に出世して六千石を領した。家光薨去に殉じて切腹した。三枝氏は寛永年間に江戸の屋敷へ移り、屋敷は廃された。
三枝山長松寺境内には三枝氏歴代の墓がある。

城名 山口氏館 読み やまぐちしやかた
 
所在地 日高市横手字山下関ノ入  
別名   コード 11_02_013_00500
築城年 永禄十二年
(1569)
主な城主 山口若狭守重明
廃城年 不詳 形態
    
備考 山口氏は元信州諏訪の出で、永禄七年に小田原北条氏に仕えて、同十二年には当地の代官として赴任してきたという。同氏は後北条氏滅亡時にこの地に隠れ、後に小田原城主となった酒井雅楽頭忠世に召出された。
山口若狭守の弟である美作守の子孫が今も住す。

城名 女影氏館 読み おなかげしやかた
 
所在地 日高市女影字上の条
別名 女影竹の内 コード 11_02_013_00600
築城年 不詳 主な城主 女影四郎
廃城年 不詳 形態
   
備考 承久の乱で活躍した女影太郎・四郎の館跡と言われる。

城名 弥次郎屋敷 読み やじろうやしき
所在地 日高市高萩字弥次郎
別名   コード 11_02_013_00700
築城年 戦国末期 主な城主 岡部弥次郎長盛
廃城年 不詳 形態 屋敷
    
備考 甲斐武田氏の遺臣である岡部長盛が落ち延び住した場所であるという。
後に長盛は徳川家康に召しだされた。
馬場の跡が残るというが、現在では高萩駅前開発のため遺構を見出すのは困難である。

城名 高萩堀内 読み たかはぎほりのうち
所在地 日高市高萩字堀内
別名   コード 11_02_013_00800
築城年 不詳 主な城主 不詳
廃城年 不詳 形態 館?
    
備考 縄文時代からの住居地だとされる。蔵屋敷の一部であろうか?
開発が進み、地高すらも変革しているため、今後は遺構の痕跡を見出すのは非常に困難である。

城名 内村屋敷 読み うちむらやしき  
 
所在地 日高市下鹿山字内村
別名   コード 11_02_013_00900
築城年   主な城主 内村氏
廃城年   形態 屋敷
  
備考  

城名 とうこう屋敷 読み とうこうやしき
 
所在地 日高市高萩字南王神
別名    コード 11_02_013_01000
築城年 不詳 主な城主 道光、真光
廃城年 不詳 形態 屋敷?
    
備考 ここに何時の頃か不明だが「道光」「真光」という兄弟の浪人が住み、世を送ったという。
彼らは地域に土着し、女影地区の開発に尽力したと言う。近くに「道光林」という地名も残す。

城名 雷山城 読み いかずちやまじょう
 
 
所在地 日高市女影字大殿松
別名    コード 11_02_013_01100
築城年 不詳 主な城主 不詳
廃城年 不詳 形態 丘城?
   
備考 伝承で伝わるのみで、遺構は皆無。
昭和初期に郷土史家清水嘉作氏の「女影の雷山城伝説」を発表しているが、「女影」と名付けられる時代背景が戦国時代とある。しかし、それ鎌倉時代以前から女影という地名があるので、この点が矛盾している。

城名 高萩中丸 読み たかはぎなかまる  
 
所在地 日高市高萩字中丸安行山
別名   コード 11_02_013_01200
築城年 不詳 主な城主  
廃城年 不詳 形態 陣城
   
備考 当地に陣城があったと伝えるのみである。 

城名 高麗陣屋 読み こまじんや
所在地 日高市栗坪字陣屋
別名    コード 11_02_013_01300
築城年 慶長二年
(1597)
主な城主 大久保石見守長安
廃城年 元文二年
(1737)
形態 陣屋
    
備考 高麗本郷内にあった陣屋を慶長二年に当地に移したという。
陣屋は廃止されるまでの間、代官が入り貢税を納める役所として活用されていた。

城名 中鹿山陣屋 読み なかかやまじんや
所在地 日高市中鹿山字前耕地
別名 某陣屋 コード 11_02_013_01400
築城年 正保年間? 主な城主 飯田氏?
廃城年   形態 陣屋
   
備考 経歴不詳の陣屋。高麗川南公民館東側の集落の間に堀や土塁を残す。
正保年間(1644〜1647)には旗本飯田清左衛門が中鹿山村を知行していたので飯田氏の陣屋という見方もある。
後に中鹿山村は酒井伯耆守の領地となって御料地になったという。

城名 旗塚 読み はたづか
 
所在地 日高市中鹿山愛宕山
別名   コード 11_02_013_01500
築城年   主な城主  
廃城年   形態 陣城
    
備考 南北朝期における陣地と伝わる。
高麗川団地造成の際発掘調査をされたところ、塚が数基あるのみで、堀や土塁などの遺構は見つからなかったという。

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<<主要参考文献>>
日高市史 通史編 日高市教育委員会 (2000)
日高市史 中世資料編 日高市教育委員会 (1995)
日高町歴史散歩 (1〜3) 日高町教育委員会 (1985)
日高町遺跡分布調査報告書 日高町教育委員会 (1980)
高萩村郷土資料 日高町教育委員会 (1955)
高麗郷土史 高麗郷土史研究会 (1955)
平澤の歴史 関口芳次 著 (1969)
埼玉の中世城館跡 埼玉県教育委員会 (1989)
埼玉の館城跡 埼玉県教育委員会 (1969)
日本城郭大系5 新人物往来社 (1980)
 
中世城館遺構まがい編
 <注意>下記の場所に関しては、管理人が様々な地名・地形・立地条件などにより、推定した城館遺構の可能性を示唆しているものであり、必ずしも城館跡とは限らない事を最初に断っておきます。


城名 田木館(仮称) 読み たぎやかた
所在地 日高市田木堀内
別名   コード 11_02_013_10100
築城年 不詳 主な城主 不詳
廃城年 不詳 形態 館?
    
備考 田木地区の中心部にあたり、この周辺に「内出」や「馬乗場」「堀内」「出口」などの小字を残している。
北西を圏央道が走るようになり、風景は変わってしまったが、北側の眺望は良好であったと思われる。また、北側を流れる南小畦川が天然の堀をなしているが、明確な遺構はほぼ無い。
歴史的経緯は文献も無く、詳細は不明である。


城名 新屋敷(仮称) 読み あらやしき
 
所在地 日高市大谷沢新屋敷
別名   コード 11_02_013_10200
築城年 不詳 主な城主  
廃城年 不詳 形態 屋敷?
    
備考 字に「新屋敷」の地名を残す。竹林の中に南の川側を囲む様に東西に走る溝が2本ほど見られるが、遺構かどうかは不明である。
『大谷沢根元伝記』によると戦国時代末期に金子大炊助という武士の子孫が土着したというので、その関連の屋敷であった可能性がある。


城名 北大谷沢館
(仮称)
読み きたおおやざわやかた
所在地 日高市北大谷沢字南
別名   コード 11_02_013_10300
築城年 不詳 主な城主  
廃城年 不詳  形態 館?
    
備考 北大谷沢地区の字南に地元のみ伝わる「うちで」という地名がある。
形状を見れば河川に挟まれた舌状地であるので、近くの女影氏館に形式はよく似ている。


城名 女影出口遺跡
(仮称)
読み おなかげでぐちいせき
所在地 日高市女影字出口
別名   コード 11_02_013_10400
築城年 不詳 主な城主 不詳
廃城年 不詳 形態 館?
    
備考 旧鎌倉街道沿いにある謎の土塁。歴史的経緯については不明である。
2007年暮れにこの土塁は切り崩された。