×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

越生町(おごせまち)
 梅の里として知られる越生の町名は古くから使われてきた郷名で、その由来は秩父へ峠を越えるという意味の「オッコシ」からとアイヌ語によるものと諸説がありはっきりしていない。

 中世には越生郷と呼ばれその範囲は越生町全域と毛呂山町・鳩山町・都幾川村の一部を指していた。平安期には渡来系の高麗氏一族がこちらに住んでおり、平安末期になると武蔵七党の一つ児玉党から出た越生氏が多くの支族をもって居住するようになった。。
 室町時代になると越生氏が没落していき、太田道灌の父、太田道真の隠居先としての色合いが濃くなってくる。
当ページ収録城館跡一覧 早見表
 1:吾那氏館  2:岡崎氏館  3:越生氏館  4:黒岩氏館
 5:小杉館  6:三枝庵  7:高取城  8:田代館
 9:堂山館 10:鳴瀬氏館 11:如意氏館 12:山吹氏館
※当地図は平成の大合併以前のものです。
←はゼンリン社の地図です、参考のまでにご覧下さい。
城名 吾那氏館 読み あがなしやかた  
所在地 埼玉県入間郡越生町堂山
字堀ノ内
所在地地図
別名   コード 11_02_012_00100
築城年 不詳 主な城主 吾那氏
廃城年 不詳 形態
    
歴史
越生氏の一族吾那氏
 吾那氏は児玉党越生氏から出た一族であるといい、その活動が活発になるのは越生氏が武蔵野合戦で没落した以降になる。
遺構
城名 岡崎氏館 読み おかざきしやかた  
所在地 埼玉県入間郡越生町上野 所在地地図
別名 岡崎薬師館 コード 11_02_012_00200
築城年 鎌倉時代 主な城主 岡崎氏
廃城年 不詳 形態
    
歴史
児玉党越生氏の一族
 
 岡崎氏は鎌倉時代の終わりごろの正和元年(1312)に伊豆の御家人狩野貞親と領地の交換をし、この地を離れて石見国の加志岐別府(現在の島根県浜田市有福)へ移住して行った。岡崎氏は石見国にて越生に復姓して、南北朝期には
遺構

城名 越生氏館 読み おごせしやかた
所在地 埼玉県入間郡越生町上野 所在地地図
別名   コード 11_02_012_00300
築城年 平安末期 主な城主 越生氏
廃城年 不詳 形態
   
歴史
児玉党越生氏
 越生氏は児玉党の出身で、入西三太夫資行の四男有行が越生新大夫(三郎)を名乗ったのが始まりである。この有行の子である右馬允有弘は、文治元年(1185)の源頼朝奥州征伐に従軍し、頼朝より吾那・春原・広瀬・越生の各郷の地頭職を命ぜられた。
 承元二年(1208)に有弘は子である左馬允有高にその所領を譲り、承久の乱において軍功を挙げたという。この有高の時に関東から遠く離れた地の地頭職をいくつか命ぜられており、播磨国賀古荘(兵庫県加古川市)や但馬国日置郷(兵庫県豊岡市日高町)といった地に越生氏の末裔たちは赴任していく事となった。
 南北朝期には南朝方の新田氏に属していた。文和元年(1352)に起こった武蔵野合戦で越生氏は新田方に付いたが、勝敗は足利尊氏が勝利してしまった。その為越生氏は越生郷の地頭職を解任され、その代わりに一族である吾那氏などが越生の歴史に名乗りを上げるようになってきたのである。
 その後の越生氏は同町の大谷地区に移り住む事となり、天正十八年(1590)の小田原合戦以後は越生町に残っていた一部の越生一族は、堤氏と名を改めて今日に至るのだという。
遺構  大部分の資料には越生神社が越生氏館となっているが、『越生の歴史T<原始・古代・中世>』では『入間郡誌』の記述により小字倉田に越生氏の屋敷があったと述べ、昭和二十年頃までは沼や堀が残っていたという。

城名 黒岩氏館 読み くろいわしやかた
所在地 埼玉県入間郡越生町
黒岩字堂西
別名    コード 11_02_012_00400
築城年 鎌倉期 主な城主 黒岩左近二郎有光
廃城年 不詳 形態
   
歴史
越生氏の一族
 黒岩氏は児玉党越生氏の出身で、越生有平のニ子有光が黒岩二郎を名乗った事により始まるという。小杉村天神社の永正十二年(1515)棟札に黒岩民部少輔顕秀の名が見られる事から、黒岩氏は戦国期頃まで続いていたというのが伺える。
 いつの頃からか黒岩氏の末裔は九州に住むようになったのだという。
遺構  五大尊境内にあるのが館跡といわれるが、明確な遺構は平場のみでこれが館跡に伴う物かは不明ある。

城名 小杉館 読み こすぎやかた
所在地 埼玉県入間郡越生町小杉
字陣屋
別名 太田館 コード 11_02_012_00500
築城年 室町時代頃 主な城主 太田道真
廃城年 不詳 形態
   
歴史
太田道真が隠居した館
 建康寺(けんごうじ)境内にあるとされる太田道真の持つ館の一つ。『新編武蔵風土記稿』には子の「太田道灌邸跡」と記されるが、併記して「道真小杉に隠居し明応元年(1482)二月二日八十二歳にて卒せし」と書かれている事から道真の隠居先であったとしている。
 太田道真(資清)は相模守護代の役職であると同時に、武蔵国の支配をしていた扇谷上杉氏の配下でもあった。道真は上杉持朝と共に河越におり、持朝を補佐していた。後年子の道灌(資長)に家督を譲って、道真は寛正二年(1461)に越生へ隠居をしたという。この場所は古くは街道が通っていた場所で、秩父と河越を結ぶ交通の要所であったので、その守備を兼ねて道真はこの地に隠居をしたという説もある。
遺構  建康寺辺りを字陣屋といい、目の前にかかっている橋を道灌橋という。この道灌橋を渡って梅園小学校付近を馬場ともいい、この辺りの地名が中世館跡があった事を裏付ける。
 明確な遺構は残っていないが、建康寺の付近に水路が流れており、それが堀だったのではないかという説もある。

城名 三枝庵 読み さんしあん
所在地 埼玉県入間郡越生町竜ヶ谷
字山王
所在地地図
別名 自得軒 コード 11_02_012_00600
築城年 室町時代頃 主な城主 太田道真
廃城年 不詳 形態
   
歴史
太田道真と龍穏寺
 この辺りは太田道真が住したと伝わる地で、山芝庵とも書かれる。
遺構  龍穏寺より東に900mの山の北斜面に平場のみ残る。平場の大きい所で四方40mあり、その周囲に幾つかの平場が集まっている構成になっている。堀や土塁といった施設は見られないので、『越生の歴史T』では平時は龍穏寺の寺庵として利用し、有事に道真に指揮された軍勢が駐屯する施設だったのだろうとしている。
城名 高取城 読み たかとりじょう
所在地 埼玉県入間郡越生町上野 所在地地図
別名 越生城・高取山城 コード 11_02_012_00700
築城年 鎌倉時代 主な城主 越生氏
廃城年 不詳 形態 山城
    
歴史
越生氏の詰め城
 高取山山頂、本曲輪には越生神社奥の院がある。
遺構  

城名 田代館 読み たしろやかた
所在地 埼玉県入間郡越生町古池小字田代
別名   コード 11_02_012_00800
築城年 不詳 主な城主 不詳
廃城年 不詳 形態
   
歴史
田代館
 田代地区にあるとされる城跡。
遺構  

城名 堂山館 読み どうやまやかた
所在地 埼玉県入間郡越生町堂山
別名 児玉雲太夫館 コード 11_02_012_00900
築城年 不詳 主な城主 児玉雲太夫?
廃城年 不詳 形態
   
歴史
児玉党のいずれかの館
 堂山地区の最勝寺に五輪塔があり、その下から十四世紀頃の常滑焼の壷が発見されたという。この五輪塔は児玉雲太夫の墓であるとされているが、この雲太夫の名は児玉党系図には見当たらず、いかなる人物かは不明である。立地条件から越生氏のいずれかの墓とも考えられている。
遺構  現在、最勝寺境内になっているが、館の遺構については不明である。

城名 鳴瀬氏館 読み なるせしやかた
所在地 埼玉県入間郡越生町
成瀬字弘法山
所在地地図
別名   コード 11_02_012_01000
築城年 鎌倉期 主な城主 鳴瀬右近太郎有年
廃城年 不詳 形態
   
遺構
越生氏の一族
 鳴瀬氏は児玉党越生氏から出た一族で、『武蔵七党系図』によれば越生氏の祖である越生有行の孫有年が鳴瀬右近太郎と称した事から始まるという。
 その後の鳴瀬氏の動向は資料が不足している為に不明である。
遺構  弘法山南西山麓に鳴瀬氏の館跡があるというが、現在の如意輪観音に平地が見られる以外は館跡を思わす遺構は残されていない。弘法山山頂は諏訪神社が祭られており、ここからの眺望は大変良い。

城名 如意氏館 読み ねおいしやかた  
所在地 埼玉県入間郡越生町如意 所在地地図
別名   コード 11_02_012_01100
築城年 不詳 主な城主 如意小太郎行村
廃城年 不詳 形態
   
歴史
高麗氏の流れを組む
 如意氏は児玉党越生氏が越生に来る前から住んでいた古い家柄である。その祖は高麗郡(現在の日高市)にて生活していた半島の渡来民族の末裔高麗氏である。
遺構  

城名 山吹氏館 読み やまぶきしやかた  
所在地 埼玉県入間郡越生町 所在地地図
別名   コード 11_02_012_01200
築城年 不詳 主な城主 山吹氏
廃城年 不詳 形態
   
歴史
山吹の里伝説
 
遺構  

埼玉県市町村別へ 都道府県別へ トップページへ

<<主要参考文献>>
越生の歴史T
 <原始・古代・中世>
越生町 (1997)
越生の歴史U <近世> 越生町 (1999)
埼玉の中世城館跡 埼玉県 (1989)
埼玉の館城跡 埼玉県 (1969)
日本城郭大系5 新人物往来社 (1980)
日本城郭大集4 人物往来社 (1967)
軍記 武蔵七党 下巻 川又辰次 編 (1985)
武蔵武士 (続) 成迫政則 著 (2007)
あゆみ 第23号 毛呂山町郷土研究会 (1997)