城名 |
吾妻氏館 |
読み |
あずましやかた |
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所在地 |
埼玉県上尾市平方
字宿北 |
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別名 |
宿北U遺跡 |
コード |
11_01_014_00100 |
築城年 |
平安末期 |
主な城主 |
吾妻左衛門是好? |
廃城年 |
不詳 |
形態 |
館 |
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歴史 |
吾妻左衛門館と要衝平方 |
吾妻左衛門が住んでいた吾妻坂の伝承を持つ地で、現地は北から南にかけて傾斜地になっている。県立上尾橘高等学校のグランド造成の為、遺構の一部は土取りされて永遠に喪失した。
昭和57年の発掘調査によれば堀が二条、溝が十条、井戸跡が四基も見つかっており、南に突き出した舌状台地の中央部を占めた館跡であった事がわかったという。また南北に走る道路を挟んで東側には堀跡を利用して作られた道が現在もあり、道の形状から館跡の規模が若干ではあるが伺えるようである。
永禄四年(1561)の今川氏判物写によれば平方口にて上杉氏と後北条氏が交戦したと記録される事から、戦国期においても各勢力の抗争の場として戦火に晒された地であった事が伺える。
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遺構 |
県立上尾橘高等学校グランドになっているところが遺構のあった場所で、道路を境にしてすっぽりと土取りされてしまっており、名残を残していない。しかしその周辺はかっての「吾妻坂」を思わせる傾斜が残されている事から、今後の発掘調査によって色々と判明する事があると期待したい所である。 |
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