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川口市(かわぐちし)
 埼玉県南東部の都市で、埼玉県内において都心部に近い都市のひとつである関係から開発が急激に行われた。平成23年10月11日には鳩ヶ谷市が合併し、新川口市として現状に至る。
 室町期では北の岩附太田氏の影響力がかなり大きく、その当時の遺構の大部分太田氏が関わりを持つのが特徴である。
 近世になると関東郡代である伊奈氏が赤山に陣屋を築き、断絶するまでの間この周辺でかなりの影響力を及ぼしていた。
 中世期頃の遺構は主に大宮台地の南端部がかかる市東部に多く残されているが、近年の交通網の整備に伴い戸塚城などが破壊される傾向にある。
当ページ収録城館跡一覧 早見表
赤山陣屋 石御堂遺跡 田中陣屋 土肥屋敷
戸塚城 殿山城 八幡屋敷 平柳氏館
藤波陣屋 本郷城 密蔵院 向陣屋

←各項目にあるこちらのアイコンはゼンリン社の現地地図にリンクしております。参考のまでにご覧下さい。


城名 赤山城 読み あかやまじょう
所在地 埼玉県川口市赤山
字陣屋敷
所在地地図
別名 赤山陣屋 コード 11_01_004_00100
築城年 寛永六年
(1629)
主な城主 伊奈氏
廃城年 寛政四年
(1792)
形態 陣屋
   
歴史
 当地は関東郡代を務めた伊奈氏の陣屋ではあるが、大宮台地から伸びる舌状台地を利用しており、戦国期頃にはこの地に要害などがあったと思われるが、伝承が残っていない。
 家康が天正十八年(1590)に関東に入国する際に伊奈熊蔵忠次は足立郡小室村(現在の埼玉県北足立郡伊奈町小室)に陣屋を設けて居た。忠次の次男半十郎忠治の代になった寛永六年(1629)に赤山領七千石を賜り、この地に陣屋を移した。
 しかし、寛政四年(1792)摂津守忠尊の時に養子問題で所領を没収され、陣屋は廃された。
遺構  

城名 石御堂遺跡 読み いしみどういせき
所在地 埼玉県川口市本蓮
字石御堂
所在地地図
別名   コード 11_01_004_00200
築城年 不詳 主な城主 不詳
廃城年 不詳 形態 館?
   
歴史
 昭和五十七年の発掘調査によって初めて発見された遺構で、文献にもこの遺構についての記述は見当たらない。
遺構  幅2m、深さ1m前後の堀が発見されており、遺物は一三世紀〜一八世紀初頭にかけての物が多く見つかっている。武士階級の人物の住まいだった可能性がある。しかし現在は住宅地になっており、その面影を見ることができない。

城名 田中陣屋 読み たなかじんや  
所在地 埼玉県川口市芝
字田中
所在地地図
別名   コード 11_01_004_00300
築城年 慶長年間? 主な城主 安西甚兵衛元真
廃城年 不詳 形態 陣屋
   
歴史
 江戸幕府代官である安西甚兵衛元真の陣屋という。元真は慶長九年(1605)に台徳院殿(徳川秀忠の法名)に仕え、武蔵国足立郡にて千三百石を賜ったという。万治二年(1659)に高齢となり職を辞し、寛文十一年(1672)に八十一歳にて逝去したという。
(出典:『芝村誌』 小泉安太郎編)
遺構  

城名 土肥屋敷 読み どいやしき  
所在地 埼玉県川口市 所在地地図
別名   コード 11_01_004_00400
築城年 平安末期 主な城主 土肥兵庫守重永
廃城年 鎌倉期? 形態 館?
   
歴史
 土肥重永は平良文の裔で、源平合戦時において平氏の支配する領家元郷の荘園を管理していた。源氏の勢力が大きくなると頭領源為義の三男、志太(志田)先生義広に南平柳の領地を分けた事から「領家」の地名ができたという。
 領家の地を譲り受けた義広は、領家村花之枝に構え堀を作らせて城砦を作り、土肥重永に南平柳の支配を任せた。重永はそれに恩義を感じ、源氏に忠誠を誓ったという。
 後に義広が甥である源頼朝に攻められた時、重永は鎌倉街道舟戸(現在の国道122号線新荒川大橋付近)に篭ったが、小山頼政と三浦義澄の挟み撃ちに遭い、戦死したという。
(出典:『川口市南平柳の歴史』木村吉正著)
遺構  現在の川口市弥平二〜三丁目かけて昭和10年頃まで「字屋敷添」の地名があり、南平柳を管理した重永の館跡があった可能性が考えられる。

城名 戸塚城 読み とつかじょう
所在地 埼玉県川口市戸塚
城山
所在地地図
別名 龍賀城 コード 11_01_004_00500
築城年 室町期 主な城主 小宮山弾正介忠孝
廃城年 戦国末期? 形態 丘城
   
歴史
 地元では龍賀山とも城山とも言われる。小宮山氏は忍成田氏の配下であったとされ、戸塚村・根岸村周辺200貫文を知行していたという。天正十年(1582)頃には岩附太田氏に仕えていたようである。
遺構  土地開発に伴い大々的に発掘調査をおこなっており、台地上から大規模な堀が発掘されている。現在では調査も終わり、宅地などになっている。

城名 殿山城 読み とのやまじょう
所在地 埼玉県川口市安行吉原
字立ノ崎
所在地地図
別名   コード 11_01_004_00600
築城年 室町期? 主な城主 吉岡将監
廃城年 不詳 形態
   
歴史
 『新編武蔵風土記稿』には吉岡将監の陣屋と伝えている。吉岡将監は安行村の村名になった中田安斎入道安行の子であり、親子で岩附城主太田資頼(太田道灌孫)に仕えていたとされる。安行は明応五年(1496)に金剛寺を開基し、天文二年(1533)に没している。
遺構  昭和五一年の発掘調査により、南に向かう舌状台地に沿って溝が発見されたとの事である。

城名 八幡屋敷 読み はちまんやしき  
所在地 埼玉県川口市 所在地地図
別名   コード 11_01_004_00700
築城年 平安末期 主な城主 不詳
廃城年 不詳 形態 館?
   
歴史
 上記の土肥屋敷に隣接してあったという。源氏にゆかりのある地名なので志太先生義広に関わる館跡の名称であった事も考えられるが、その詳細については不明である。
(出典:『川口市南平柳の歴史』木村吉正著)
遺構  

城名 平柳氏館 読み ひらやなぎしやかた   
所在地 埼玉県川口市元郷四丁目 所在地地図
別名 平柳蔵人館 コード 11_01_004_00800
築城年 鎌倉期? 主な城主 平柳蔵人
廃城年 戦国期? 形態
   
歴史
 岩附太田氏家臣平柳蔵人の館跡といわれる地で、川口市史においては鎌倉時代の御家人である足立遠元の息に「平柳」を称する者がいるので、その子孫が蔵人ではないかと仮定している。
 蔵人は永禄七年(1564)の国府台合戦において討ち死にしたと伝わる。その混乱に乗じて北条氏によって館は急襲された。
遺構  

城名 藤波陣屋 読み ふじなみじんや
所在地 埼玉県川口市西立野
道上
所在地地図
別名   コード 11_01_004_00900
築城年 不詳 主な城主 藤波和泉?
廃城年 不詳 形態 陣屋
   
歴史
 『新編武蔵風土記稿』にも居住した人物を伝えておらず、今も謎に包まれた陣屋。小田原北条氏に仕えた藤波和泉という人物が居住したとも言い、また別の言い伝えには戸塚城主小宮山氏の家人が住んだという。
遺構  明確な遺構や位置ははっきりしていないが、推定地は北面が河川によって削られており、戸塚城同様眺望に優れている。『新編武蔵風土記稿』には「土居から堀の跡など所々にありて」とは書かれているものの、現在ではそれを見る事ができない。

城名 本郷城 読み ほんごうじょう
所在地 埼玉県川口市東本郷
字曲輪
所在地地図
別名   コード 11_01_004_01000
築城年 室町期 主な城主 太田備中守輝資
廃城年 不詳 形態 丘城
   
歴史
 『新編武蔵風土記稿』では太田道灌が築城したと伝わる。太田備中守輝資は道灌の曽孫にあたる人物で、小田原北条氏に仕えて晩年ここに住したという。
遺構  傑傳寺の付近に城があったといい、今は深い雑木林の中に南部に堀があるという。

城名 密蔵院 読み みつぞういん
所在地 埼玉県川口市 所在地地図
別名   コード 11_01_004_01100
築城年 平安末期 主な城主 不詳
廃城年 不詳 形態 崖城?
   
歴史
 密蔵院は台地の東端に位置し、東方の視界は大変優れている。また歴史も古い事もあり、中世期の館跡ではないかと言われる。
遺構  境内には特に遺構が見当たらないが、現在の墓地が舌状台地形状になっている為、ここが物見の役割を果たしていた可能性は考えられる。
 

城名 向陣屋 読み むかいじんや  
所在地 埼玉県川口市芝
字峰町
所在地地図
別名   コード 11_01_004_01200
築城年 寛永八年?
(1632)
主な城主 熊沢三郎左衛門忠勝
廃城年 不詳 形態 陣屋
   
歴史
 当陣屋に居住していた熊沢氏の祖先吉定は太田道灌資長に仕え、引き続きその子吉重も太田信濃守(資家?)に仕えた。吉重の子吉勝は北条氏房に仕えたとあるので、代々岩槻太田氏に仕えていた土豪であったのであろう。
 関東が徳川家康の領地下になる頃には吉勝の子忠勝が登場する。忠勝は浦和郷を管理していた高力清長の家臣中村弥右衛門吉照・吉繁親子の下で手代(代官所の役人)として働き、後年中村吉繁が病気で代官職を辞したのがきっかけで浦和郷の代官職を引き継いだという。
 中村氏同様に管理していた長徳寺隣の当地に陣屋を構え、この陣屋を通じて浦和郷1万石を管理するようになった。寛永九年(1633)に忠勝が八十八歳にて亡くなっている。
 熊沢忠勝の跡を継いだのは子の彦兵衛忠徳で、さらに孫の武兵衛良泰と浦和郷の代官職を受け継いでいったが、武兵衛良泰が元禄二年(1689)に年貢横領罪によって代官を免職され、同十年(1697)に追放に処せられて熊沢家は断絶してしまったという。
遺構  


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<<主要参考文献>>
川口市史 通史編上巻 川口市 (1988)
領家郷土史 領家郷土史
編集委員会 編
(1979)
川口市南平柳の歴史 木村吉正 著 (1961)
弥平町周辺の歴史もの語り 森本貞夫 著 (1984)
芝村誌 小泉安太郎 編 (1938)
浦和市史 通史編 U 浦和市 (1988)
埼玉の中世城館跡 埼玉県教育委員会 (1989)
埼玉の館城跡 埼玉県教育委員会 (1969)
日本城郭大系5 新人物往来社 (1980)
日本城郭大集4 人物往来社 (1967)