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にたやまじょう
仁田山城
所在地 群馬県桐生市
仁田山城の所在地。
緑の部分が大まかな城の推定範囲で、赤いラインは探訪時に通るとベストと思われるルートを示す。
夕日を浴びる仁田山城主郭部分。比高差約250mの尾根部分に主郭と思われる部分が存在する。
まずは仁田山城のある石尊山の南麓の集落の中に写真のような小道があるので、ここから城へと向かう。
地元の方が里道として整備してくださっているお陰で、斜面が急な以外は問題なく登る事ができた。
途中道が不明瞭な場所もあったりするが、上に上がって行くように道がつづら折りになっているので、登りは迷う事は無いと思う。
石尊山の名前が示すかのように鳥居が建てられており、ここをくぐって更に道を進む。
標高370m付近から倒木が多く見られるようになってきた。それでも道はなんとか整備されているので助かった。
これは木の伝染病にでも掛かった物なのであろうか?斜面は南向きで日当たりがいいので、それで枯れたとも考えられないのだが・・・。
城に近づくにつれ、山々に遮られていた視界が徐々に開け始めた。これも冬に来たからこそ見える風景であろう。
ようやく人工によく削平地が見え、城にたどり着いた。ここまで冬場は景色が良く、休み休み登ってくる事ができたのは有難かった。
城の南部分の曲輪には鐘が設置されていて、その奥には不動明王像らしき石像が置かれていた。
石尊山が示す石造物がいくつも曲輪内部に配置されていた。高さもそこそこあるので、信仰の山であるのが分かった。
この時二匹の犬が放し飼いになっていて、こちらを見たらそのまま別の場所に移動していった。
あまり人の来ない山だろうけど、放し飼いにしていいのだろうか?
主郭部分に到着した。さて、お絵描きでも始めるかっと準備していたら・・・
「パーーーン!!」
っと轟音が鳴り響いた!どうやら害獣駆除のハンターの猟銃のようだ。
あれ?さっきの犬ってその為の猟犬だったのか?
仁田山城はその時まさに銃弾の飛び交う戦場と化していたのであった!
主格を北側から望む、20m位の長さがあるだろうか。
って先ほどの害獣駆除の件があったが、そのままお絵描きを続行する事にした。理由はここまで来るが大変である事、もう一つは城館探訪用のジャケットが蛍光色のハデハデな色なので、大変目立つので誤射される危険性が薄いと判断したからであった。(あまり賢明な判断じゃない・・・)
以前他の城館探訪者に変だと笑われたジャケットであったが、こういう時に役立ってくれたのは有難かった。
そしてハンターたちは次第に山奥へ行ったらしく、辺りは普段の静けさを取り戻した。
主郭背後の堀切。キッチリと尾根を分断している堀切はいつ見ても癒される。
主郭と同規模の曲輪が来た後に再び堀切あり。
実を言えばこの辺はお絵かきに夢中になっていて、まったく写真を撮ってなかった・・・。
先の堀切があった後、複数の段が作られた曲輪を経て、三番目の堀切に到着、こちらは土塁付き。
ここの堀切は東半分は地崩れを起こしたらしく、遺構の一部が崩落してしまていた。
以上で仁田山城の主要部分は終了。
ところが、仁田山城はかなり離れた稜線に堀切が一条設けてある。山崎一先生の図にもこの堀切は描かれており、写真では分かりづらいが明らかに人の手によって南側稜線を切り離された堀切である。
となると・・・北側の稜線はどこが境界なのであろう?
実は北側の稜線の一部には謎の削平地があり、そこにはアンテナが立っていた。
木々が無いしアンテナがあるので車道かと思いきや周囲にはそれらしき物は見当たらない。
(後日聞き込みをした所、棒谷戸集落のデレビアンテナとの事)
少し下がった北西側に「駒見峠」の看板を掲げられた鞍部があり、山はそこから急激に上りになっていた。
実はこの峠を北東方面に降りて行くと「棒谷戸」と呼ばれる集落に辿り着く。
実は本来の城道はこの駒見峠が担っていて。先の稜線堀切に至るまでに不明瞭な削平地がいくつかある。
これは城の建造物等が建てられたと同時に背後の山から仁田山城の主要部分を直接見透かされない為に木々を茂らせていたのではと妄想をいくつも浮かべてみた。
今回探訪してみて、先に述べている城本体背後の自然地形をどう利用したのかという点が非常に気になった。
駒見峠より奥に高い駒見山(標高814.4m)を後ろに控えている為、主郭部分を木々で多い隠す為に取り込んだのか?それともある程度削平されている様子なので、城内の施設として使用したのか?
いずれにしても搦手と言われる堀切が人工物である以上、少なくてもここまでは城の範囲に含めていた確率は高いと見ている。

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