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吉崎城の所在地。
緑の部分は大まかな範囲で、紫色のラインは帰るときに通ったルートを示す。 |
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吉崎城遠景、背後の尾根のアップダウンがすごく目を引く目立つ山である。 |
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山自体の場所が分かっていてもルートがよく分からなかったので、広い空き地に車を停めて登ってみた。
写真奥に携帯電話の電波塔があったので、そこを経由して登る。 |
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すると山の斜面に農業用水路が流れている。橋が掛かっている場所からまっすぐ進む道がかろうじて見えるのでそこを通って行く。 |
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平場を幾つか通った後、急斜面に遭遇したのでそのまま直登した。
その間は写真をすっかり忘れ、撮影したのは斜面を振り返って望み見る送電鉄塔新榛名線。
道の無い急斜面だが草木があったのでなんとかここまで登ってこれた。 |
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尾根筋にたどり着くとお待ちかねの吉崎城がまっていた。
北に伸びる尾根でもっとも末端部に見られる平場。 |
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それから北側の斜面を見るとかなり急に落ち込んでいるのが分かる。 |
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山城を登ってこの堀切に出会えるのはご褒美とも言える。
明確な堀切と竪堀に出会えた。 |
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それにしても見事な堀切だ。 |
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尾根もちょっと傾斜がある上に、堀切が合計四条もあるので、かなりコテコテに守りを固めている。
きっと北側にあった平場に対しての守りとも取れるが、敵対勢力がこちらの方角であったと考える方が自然だろうか。 |
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なんとか堀切を抜けて主郭へ到着。
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これを見て初めてココが地元で「冨士山」と呼ばれているのを知る。
これは帰り道はちゃんとしたハイキング道があるかと期待する。 |
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主郭の南尾根は岩をガッツリ切った堀切が二条。しかも両側面は急斜面になっているので行ける気がしない上、岩尾根がアップダウンを繰り返している。
これを見た時点でこの先の調査は断念し、先ほどの堀切をお絵描き始めた。 |
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主郭より西側の下仁田町を眺める。結構西側の姫街道も見渡せる。 |
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ちゃんとした道を下りてくると鉄パイプで作られた赤い鳥居がある曲輪へたどり着いた。 |
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西尾根にも途中に平場が見られたが、かなり疲れてしまいお絵描きしていない。
山頂は狭い分、北と西の麓に根小屋設備を設けていたのであろう。
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いつの間にか道が消えてしまい、また薮を掻き分けてなんとか車道へ帰ってきた。
写真の場所は戻ってきた記念に撮影した生還地点である。 |
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吉崎城のお絵描き。
北東の尾根を執拗なまでに堀切を付けており、北側に対する備えに厳重であった事が分かる。
代わりに南尾根は自然の堀切が幾つも刻まれているようで、通行は困難。
西斜面もいくらか通過できるがいずれにしても急斜面である。 |