中世城館を調べる方法

 4 城館跡の立地条件
 中世期の城館跡はその使用用途と時代によって若干所在する場所が変わります。

 例えば同じ山城にとっても南北朝期以前の城は山奥に立て篭もる事を前提に築かれているので、とんでもない山奥に城があるというケースがあります。戦国期頃になると詰めの城(領主の戦争用の要害)として若干集落に近い山頂に築かれるケースが増えます。また、街道沿いの物見の砦や押さえの城などになると、麓の集落(根古屋と呼ばれる居住区)との距離の近い比高差100m未満の尾根や小山に築かれるケースが多くなってきます。
 この様に時代と使用用途により立地条件が変わってくるので、見方を変えればその
埼玉県熊谷市にある別府城、写真は西側の虎口(城の出入り口)を撮影した所です。
最初は簡素な作りの館であったと思われますが、時代が進むに従い土塁を高く盛り、堀を深くして規模を拡張させたと思われます。
秩父市にある室山城を西側(浦山ダム周辺)から見た光景です。
標高が高く、平場を幾つか設けたのみの簡単な遺構なので南北朝期頃に見られる城の傾向が見られます。しかし麓からの比高差が余りにも高いので生活からかけ離れた城で、戦国期においては物見の砦として使用されていたと考えられます。それを伺わせるように堀切などの戦国期に見られる土木遺構がここでは見られません。
埼玉県比企郡小川町にある腰越城を東側から見た遠景写真です。
麓からの比高差が100mもないのですが、囮虎口など非常に手の込んだ防衛設備を備えていた城でした。同じ様な地形でもその築城者によって工夫がなされておりまして、その違いを考察するのも城館探訪における楽しみの一つであると思います。
 埼玉県秩父市にある諏訪城の写真です。
秩父地方ではこの様に川の合流地点という地形を利用して、天然の地形を要害としているケースが多く、最近になって発見されている城館跡も類似した地形が多くなっています。


 
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