儀一の城館旅 儀一とは? 
 このサイトをご覧になっている方に「どんなヤツが作ったサイトだ?」と疑問に思われる方が居られると思い、このページを作りました。
 どうぞお時間と興味のある方のみお読み下さいませ。
 
ハンドルネーム
儀一(ぎいち)
 ネットを始めた頃は「須高義和」というハンドルネームで各所にお邪魔していましたが、あまりにもネット上で「本名ではないか?」とご心配されてしまったので、ハンドルネームっぽい「儀一」という名前を使用させてもらっています。
所属  中世期の城館跡を訪ねる『武蔵直登』の末席に加えさせていただいております。
 こんな埼玉県にこだわった自分(およびサイト)なのにいいのかと思いますが、埼玉県の大部分は武蔵国なのでそれも有りかな?っというお気楽気分で参加させてもらっています。
素性  実は武蔵七党の一つ某党の末裔らしいです。(本当か不明)
 当家の総本家にある家伝文書集によれば戦国末期まで在地土豪として領地を持っていましたが、天正十八年の小田原の役で北条方に付いていた当主が合戦にて戦死してしまいました。その一門は山奥に隠棲し、三代過ぎた頃には時代は徳川氏の天下になっていたので元の領地へ戻り、姓をその住んでいた山奥の地名に変えました。その後は名主として分家を幾つか出しており、我が家もその分家の一つとの事です。
 予想になりますが自分が城館に目覚めたのは、我が祖先がこういった経歴を持っていたからなのかも知れませんね。
性格  変な所で凝り性、リアルでは本当に「変わり者」と言われた事もあり、結構ショックを受けた時期もありました。でも年月を経て「変わり者=希少価値があり」という考えに変わりました。そんな訳である意味ポジティブな性格なのかも知れません。
 また、山城を探訪する時にはいかに楽に、そして充実した探訪にできるかに労力を傾け、効率を求める事もあります。時には自分でも驚く程フットワークが軽い事もあり、山城の遺構を見たさに、急斜面を直登なんて事をするのも以前は良くありました。
 なんだか悪いことばかりになってますが、人の忠告や約束などは(忘れてなければ)忠実に守ったりと、意外と素直な一面もあったりします。
城館探訪を
始めたきっかけ
 学生時代はちょっと歴史に興味があるかなっという程度で、城館跡にはあまり興味を持っておりませんでした。社会人になっても天守のある有名な城を訪ねる程度でありました。
 それが一変するのは2001年の12月に訪れた鉢形城でした。そこを訪れて「城=天守がある」という事が誤った認識であった事を知り、大きな衝撃を受けました。
 以後埼玉県の城を調べていく内に1000ヶ所以上も城館がある事を知ってビックリしましたし、それまで生活していた所も中世期の遺構があったと知ってビックリ、ともかく驚きの連続でした。それからというもの遺構の残る近場の城郭を訪ねて歩き、次第にそれがライフワークになってきました。そういういきさつもあって、埼玉県が我が城館探訪の礎となっております。
 それから早数年が過ぎ、現在ではいつの間にか遺構が消滅した館跡でも訪ねる喜びを感じる身体になってしまったのでした・・・。
趣味・興味ある事  メインはズバリ中世期の城館探訪です。
 趣味の経歴を書くとそれ以前は鉄道、鉄塔、河川と意外とアウトドアな物に興味を抱く傾向があったのですね。
 インドアだと鉛筆で描く肖像画などを描いておりましたが、最近仕事が忙しくなっている事もありやっておりません。絵に関しては、かなりデッサンが狂ってきただろうなっと思います。
このサイトを
運営するきっかけ
 主に自分の城館跡に関する勉強の為です。なので各ページの作りは実に雑にできてしまっていますが、この学習した内容が少しでもご覧になっている皆さんに少しでも役立ってもらえればと思っております。
 個人的に資料を集めて分析しているサイトなので、学術的にはまったく当てになりません。でも「城館があった可能性」を当サイトが示す手掛かりによって、新たなる歴史的発見を皆様がしていただけたら、自分としても大変嬉しい事です。
これからの
サイトの方向性
 まずは埼玉県内の全ての城館跡を(消滅遺構や伝承地を含む)全てを探訪する事です。それから少しずつ周辺の都道府県の城館跡も更新していこうかとは考えておりますが、あくまでメインは埼玉県、埼玉全域の城館跡をじっくりと訪ねたいものです。
 また、最近は系譜図にも興味が出てしまったので、そちらの方の資料も集めています。もしかするとそちらのページを作る時があるかもしれません。
駄文ではありましたが、ここまでお読み下さりありがとうございます。
これからも儀一の城館旅を宜しくお願い致します。

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